部活の改革が日本復活の鍵、かも! | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

部活の改革が日本復活の鍵、かも!

私には子供が3人いて、ひとりめとふたりめは周囲(同じ小学校)の子供たちの影響で中学受験をすることになった。

ひとりめは女子で理系の地方大学へ、ふたりめは男子でやはり地方大学の理系に進学した。そういうわけで、上二人はせっかく中高一貫校に行ってもなぜか地方での暮らしを選ぶという、とても金のかかる状況となっている。

 

そしてこの3月、我が家の3人めの子供が県立高校を受験した。我が家にとっては初の県立高校受験である。

 

ただし、今日はその前の話が論点。 まず子供が公立中学に進学して大変驚いたことがある。

その1つは、正直知ってはいたがあらためてびっくりの、中学全体にきっちりと行き渡る大変非効率な部活動である。長時間練習、根性主義の昭和のような練習のやり方に戸惑いとともに驚いた。既視感が半端ない。

もちろん、その顧問の先生方は、根性主義で成功体験があるからこそ根性主義の部活動を熱心に推進しているわけだが、上の2人の子供たちの私学での部活動を見ていた私としてはその落差に非常に驚いたわけである。

 

長男は、都内の一貫校で中学生時代、とある球技の部活に入っていた。そのクラブは週3回の練習で都大会まで進出し、悪くない成績を上げていた。

なぜそれが可能かというと、それは科学的なトレーニングに尽きる。例えば、昨今は体幹トレーニングが流行しているが、その部活でも体幹トレーニングを取り入れていた。また、筋トレなどの基礎的な体力作りも、その球技に合った体力づくりが行われていた。もとより、競技により、鍛えるべき筋肉やスタミナは異なるのである。 さらに言うと、試合の作戦もまた理にかなったものであった。 このような様々な合理性のある方策により、根性主義長時間練習のご近所の公立中学と比較しても何ら遜色のない成果を上げていたのである(我が子が成果を上げたかどうかは別)。 

 

また、もう1人、地方の中高一貫校に進学した我が子はというと、同じ競技をこちらは中高6年やったが、見事な長時間根性主義だった。この学校は教育のシステムが古く、勉強も根性主義で、まあ、大学にはしっかり受かるから良いのだけれど、我が子も古さに首を捻っていた。

 

サンプル数は多くないが、根性主義の部活の学校と科学的なトレーニングをする学校を比較すると根性主義の学校の方が部活の成績は良いとは限らない。 いずれにしても、科学的に部活をやれば当然のことながら強くなり得るし、何よりの部活は短時間でやれる(が、もちろん先生の研修は必要)こと、こういったことを先に学んでいた私としては、市長としてあまり教育分野には首を突っ込めない関係で、教育長には事例を紹介しつつも、強く言うことはなかった。

 

ただ、公立中学の朝練をやり、そして長時間の夕練をやる部活の姿には違和感しかなかった。我が子にはそんな昭和の日本企業みたいなものは一刻も早くやめろ、と言ったものである。

ちなみに部活の先生は塾を辞められないか、と言った。もちろん、練習時間が減るからであるが、話を聞いて価値観の距離の大きさに唖然、である。

私自身、中高で根性主義の部活の経験がある。確かに、頑張れば成果が出るという成功体験を得ることができた。中高ともに恩師は名コーチとして有名で、県大会でせいぜい予選を突破するぐらいだった程度の私が何かいうのは正直おこがましいほどの大先生だった。二人の師匠のエリート弟子たちは根性主義で日本の頂点に立った。

 

しかしながら、頑張る前に作戦があり、頑張る前に合理的なトレーニングがあり、そして何よりも最小の努力で最善の成果を出すことこそが今の時代にはぴったりな成功体験ではないかと思う。

 

単なる根性主義の成功体験がビジネスに持ち込まれると、とにかく歩けと言う営業であったり、あるいは科学性のないKKD経営に陥ったりといったことが往々にしてある。 

 

部活動のあり方はこれから、地域へと軸足を移すことになる。しかしながら、今ある根性主義長時間非効率の部活動をそのままわざわざお金をかけて地域に移すということであれば、これはまさに、根性主義の成功体験、日本社会が、日本国の企業社会が抱えている大きな弱点を補うどころかさらに強化することにもなりかねない愚策となるのである。

部活のあるべき姿、部活の目指すべき姿は今の社会のあり方に沿った成功体験を子供たちに与えることではないかと思う。 それは、例えば、先生たちから部活を取り上げるのではなく、回数の制限をする中で合理的な精神を身に付ける、そんな部活へと部活動を変えていくことが重要なのではないかと考える。

 

数年前に、開成高校野球部の戦い方が書籍としてヒットした。戦い方としては、練習効率の良い打撃に時間を使い、打ちまくってかつ、守備の練習はしない、など正直それは野球の練習なのかと思わせるような奇抜なものである。しかしながら、どうすれば勝てるのかを考える特に、制約条件がある中でどうすれば勝てるのかを考えたこの開成野球は非常に参考になる事例である。まさに経営そのものである。 文科省が今急ぐべきは、もしかしたら私立高校で行われている合理性のある部活動の事例集めではないかと思われる。

 

週7日の練習で得られる成果と、週3日の練習で得られる成果が仮に同じだとすれば、週3日の練習で同じ成果を得た方が現代的には尊いのである。少なくとも教育の世界ではどうかは知らないが、ビジネスの世界では(そして、市役所の経営でも)確かに尊いのである。そしてこの価値観を教育現場に行き渡らせることこそが、日本経済の復活であるとか、あるいは働き方改革であるとか、さらには日本人の幸せに直結することに他ならないと私は考えるのである。