比治山陸軍墓地にて | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

比治山陸軍墓地にて

比治山陸軍墓地を訪れました。
戦前、祖国防衛のために戦った陸軍の兵士たちが眠る墓地を、1941年、軍部は高射砲陣地を構築するため、忠魂碑一基を建て納骨堂に遺骨をまつり、墓地を取り壊す計画を立て、工事が行われました。しかし、原爆投下と敗戦で工事は途上で放置され、1945年9月の枕崎台風等により、墓石は谷間に押し流され、倒壊した納骨堂からは遺骨が散乱し、そのまま放置されるという惨状となりました。
米国は1947年にABCC(原爆傷害調査委員会)を海に近い宇品に設置し、原爆の人体に対する影響についての調査にとりかかったものの、災害による被害の恐れのない比治山陸軍墓地敷地への移転を強行しました。その際、壊された墓石、掘り出された遺骨は南側斜面の谷間に放置されました。また、米軍の指示によりこの点の報道は一切許されなかったといいます。
米国に忖度する日本政府も遺族の度重なる陳情を放置しました。情けないことです。
比治山陸軍墓地が現在の姿に整理されたのは、岩田日出子さんという方がボランティアで仲間たちとともに谷間に捨てられていた墓石や遺骨を拾い上げ、今の形に並べ直すという活動によるもの。現在3,533基の墓石が並べられていますが、1000基ほどは所在不明となっています。
ロシアによるウクライナ侵略を目の当たりにし、あらためて戦前の弱肉強食の国際社会で祖国防衛のために戦った方々への感謝の思いがつのります。
また、米軍は日本兵の墓石や遺骨を放り出し、放置する一方で、フランス兵やドイツ兵の墓には手を付けていない、という事実を目の当たりにして、あらためて当時の人種差別にふつふつと怒りがわいてくるのです。もちろん、ここに眠るフランス兵、ドイツ兵には何の責任もありませんが、その墓地の対照的な状況が残念です。
比治山陸軍墓地は今なお国有墓地とは認められず、公園扱いとなっているのも非常に失礼な話です。
瀬戸内海や江田島、宮島が目の前に広がる絶景のベンチもあります。広島旅行の際に、ぜひとも足を運んでいただければと思う次第です。