首長としての仕事に「組織での勤務経験は役に立つか?」「役に立ちます」というお話
「宮仕え」の経験の大切さ、それを市長になって仕事をするようになり、あらためて痛感しました。
私は金融機関や出版社でサラリーマンとして働き、その間、労組(いわゆる単組)の執行委員もやりましたが、そこで組織がどう機能するのか、組織をどう動かすのか、という基本的なことを実感し、学びました。もちろん、駆け出しとしての仕事や中間的な仕事もやりました。
先日は「経営学は役に立つのか」ということを書きましたが、経営学は役に立つものの、それだけではやはり、組織の仕事はできません。
また、一定の規模の組織で仕事する経験というものは社会の大部分の方が持っているのですが、政治家はというと、市政、県政、国政ともにそういう経験がない方が結構おられます。
議員としては、それはあまり課題にはならないと思いますが、問題は、首長や大臣としてどうか、組織で生きたことがあるかどうか、ということです。
首長として仕事をする際に「宮仕えの経験は役立つか?」と言われるなら、「絶対に役立つ」と私は答えます。部下が上司をどう見ているか、それは部下の立場を経験しないとなかなか見えません。もちろん、いきなり部下がいる立場になったとして、相手の話を聞くことはできます。しかし、相手の立場の本質を裏表を含めて想像する力は上司でいるだけでは育ちません。
部下には往々にして裏表があり、上司もまた、同様のことがあります。
それなりの社会経験があれば、「話半分」的な聞き方もできようものを、なんでも信じてしまうようでは組織は回らないのです。
ある市長が「自分は市長なのに部下が全然いうことを聞かない」とぼやいたという話を聞きました。企業勤務経験等のない弁護士さんで、「市長のいうことを聞くのは当然」という発想で仕事をしておられたそうで、その近所の市長さんは「それで通用するなら組織の長はとても楽だ」とおっしゃり、私も似たようなことを感じました。
正直なところ、公務員は会社員よりも身分保障が手厚いので、マネジメントのグリップが効きにくく「市長の言うことを聞くのは当然」という発想では仕事にはならないというのが実態なのです。
一方で、公務員は(一部の楽をするために公務員になる人を除けば)世の中の役に立ちたい、という思いは強いので、いかに使命感の琴線に触れる「共感」の上で仕事をしてもらうか、という努力をすることがより重要になります。
もちろん、選択の際、理念や政策が大切ですが、重要な判断基準の一つである経験値について、「宮仕え」経験には要注目です。