なぜ、国政には地方代表がいるのに地方の現状をうまく議論できないのか | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

なぜ、国政には地方代表がいるのに地方の現状をうまく議論できないのか

この記事は去年書いたFacebook記事でblogに転載していなかったものですが、地方の現状をなぜ国政がうまく掬い上げられないか、という視点で思いを綴ったものです。


(以下、昨年のFacebook記事より転載)
市長会の理事評議員会議の週は、昼間は公式な会議、夜はまた、テーマ別コミュニティで集まって、地域のこと、国政のこと、政治全般のこと、といろいろな話をします。
ここでも何度も書かせていただきましたが、多くの市長の共通する問題意識が、国会議員のかなりの部分が選挙区にちゃんと根差していない、地域の隅々まで、地域の人々の生活まで理解していない、地方のことを理解していない、ということです。
与党野党問わずです。

学童保育の指導者の要件の一部弾力化という論点を、東京の学童保育の保護者団体が現場が見えずに批判するのはわかります。地方なんか行ったことがないのだからわかるわけがない。
実際には地方のそういう職員が減ると、組合員が減って組合費も減って、とにかく困るから、労組が断固減員に反対で、団体の上部にそれを言わせている可能性すらあります。
でも、野党の国会議員が東京の感覚でこれに乗っかって叩くという状況が仮にあるとします。本来、地方の選出の代議士が地域に根差しているならば、おらが町の複式学級の学校の学童保育の現状を説明して、学童保育のお子さん、全部で5人です、一体型で同じ屋根の下に児童館があります。夕方5時以降、学童保育は1人体制にして、場所も児童館で児童館と合同でやります。何か問題がありますか?学童の先生がウ◯コしてくる時は児童館の職員がしっかり見てますけど何か、みたいな話です。

大学入試の英語民間試験もそうで、民間試験を受けにそもそも実施回数の少ない県庁所在地の会場に、始発で行っても間に合わないから前泊で行く。電車は1時間に一本で、終わって駅からこれまた1時間に一本のバスで家まで帰ってくると夜8時になっている。いい経験というよりも単なる負担と徒労感。往復の交通費だけで5千円。

こういう現場の話をできるのが本来の地方選出の国会議員。

なんだけど、実際には与党のおらが町のセンセイは二代目で、東京育ち。小学校は千代田区立で、中学から大学までエスカレーターの一貫校出身。数年会社員をやってから父親の秘書になり、以来選挙区には通ってきていて、普段は選挙区の事務所は番頭みたいなのが仕切っている。
だからよくわからない。地元の市長は地元なまりでいろいろ陳情してくるんだけど、正直、煩わしい、という若き日の島津斉彬状態になっている。

こういう「地方代表もどき」がこれまた大多数が中高一貫校とか、県庁所在地にあるエリート高校から東大に進学した官僚と政策という名の作文づくりをしている。

こんな状況の中で、日頃から地域で市民と向き合い、涙を浮かべて要望されたり、怒鳴られたりして日々、地域の課題に取り組んでいる首長とか地方の議員が地方6団体というチャネルを通じていろんな交渉をしたり、地元の代議士事務所とやりとりをしたりしている。

与党支持者にも野党支持者にも申し訳ないのだけれど、これが現実です。

一方で、地方の普通の家で育ち、苦労して国会議員になり、与党にしても野党にしてもとにかく陣笠で頑張っている人はというとなかなか脚光も浴びず、地道にやっている。脚光を浴びないから発言も注目されず、なかなか議論の主導権を取っていけない。何より、何代もやっている代議士の事務所と違い、ベテランの秘書にも恵まれない。

そもそも国会議員の多数派は少なくとも親が政治家で、そういう中だから、地方の普通の感覚を持つ人間が頑張っていくにはハードルがとにかく高い。

こんな国会の状況があって、地方が元気になる方が奇跡なんだけど。
それでも我々地方政治家は、地方の努力でなんとか状況を変え、地方からの呼びかけで国政に現場の声を届けるべく努力しています。
また、役所に人事交流で省庁の官僚に出向してもらい、地域事情を理解してもらいながら役所の改革を応援してもらっている。交代で東京の官庁に行く自治体職員も、官庁の仕事を通じて地方の現場の声を届けたり、政策法務的なノウハウを学んでくる。

実は首長にも二代目はかなりいます。ただ、基本的に選挙区に住まない首長はほぼいないので、日頃、千代田区で暮らしている国会議員とは同じ二代目でも随分感覚が違うんですよね。これは構造的な問題で本人の責任ではないのだけれど、そもそも参勤交代ではないですが、国会議員の家族が選挙区にいるか、東京にいるか、という問題も大きくて、家族を東京に置いていると、ますます地方のことはわかりません。

ちなみに埼玉や都内みたいに国会まで通いの国会議員はまた別で、選挙区にはいるのだけど、首都圏はこれまた曲者で、選挙区が安定しないから、大物でも国政の大嵐で落選したりして、ベテランでも国会の主導権を取れるほど永田町どっぷりになる余裕がないケースもあります。
町内会の防災訓練に代議士が来た、と喜ぶ人は多いのですが、本来、勉強したり政務で寝技を繰り出したりすべき時間にそれをやらざるを得ない選挙区事情が、結局はその政治家を育てない選挙区事情、ということにもなりかねません。
選挙に弱いと永田町の政務で出遅れるし、逆に二代目三代目の家業は政治です、みたいな代議士で選挙に強いと永田町の政務に強く、頭角を表していくことになる。

前半と後半で相矛盾することを書きましたけど、言いたいことは1つです。地方に、地域に、おらが街にしっかり理解のある国会議員を与野党問わずに選ぶことが、地方の底力をupさせ、そうなれば日本復活の狼煙も上がろうものです。
逆に、地方が若き日の島津斉彬を選んでいるうちは望みはない。ちなみに島津斉彬はどっちかというと国政に関与した地方政治家なので、地方に根差して改革を成し遂げました。そういう意味で、彼自身には問題はないんですよ。若き日の島津斉彬がそのままの状態で薩摩を代表して老中なんかになっていたらまさに現代の国政そのもの。ま、外様だからそれはなかったし、だからこそのあの動きだったわけですが…。そこは誤解なきよう。
そして、地方に根ざしてからの斉彬がどう活躍したかはご存じの通り。