広域自治体の再編は待ったなし~都県境自治体の現場から(自治日報 寄稿記事がベースになっています) | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

広域自治体の再編は待ったなし~都県境自治体の現場から(自治日報 寄稿記事がベースになっています)

いわゆる「都構想」住民投票否決を踏まえ、以前、都道府県再編の必要性について「自治日報」に寄稿した拙稿を一部改変したものです。数値は基本的に平成27年執筆時のものをそのまま使用しています。

 

 道州制については実質的な「道州制基本法案」が示されてはいるものの、全国町村会は絶対反対、全国市長会は統一した意思を示せず様子見、全国知事会は条件付き賛成という状況であり、基礎自治体目線の捉え方はさまざまである。一方、明治27年に定まって以来不変である47都道府県の区割りは、交通網や産業の発展との齟齬、大規模災害への対応、そして国政選挙の一票の格差問題など、多くの課題を抱えており再考を要す、との見方は古くから、そして多方面から投げかけられている。たとえば蝋山正道は昭和28年に著書『地方制度の改革』(社会思想社)で「今日の府県区域はその存在理由たる三つの方面においてそれぞれ欠陥を露呈するに至った。第一に、その広域行政が真に広域行政たるに不十分となるに至ったことである。河川、土木、交通、資源開発にしても、もはや数府県にまたがる地域行政が必要となっている」とし、府県の合併や特定の行政事務の共同処理等を提言している。

 本稿では、典型的な東京のベッドタウンとして発展してきた和光市の歴史的経緯と現状を通して、都道府県再編の必要性について述べたい。

和光市は埼玉県南西部に所在し、市境のおよそ半分が市区境、つまり、都県境という典型的な「狭間」の町である。都県境の形態も数メートルの市道や中小河川がほとんどであるだけでなく複雑に入り組み、土地勘のない人間が歩くとそこが埼玉であるか東京都区部であるか、まったく見分けがつかない。一方で、同じ埼玉県ではあるが、北隣の戸田市との間には国内有数の川幅を有する荒川が横たわり、そもそも両地域の間には、昭和17年までは固定橋すらなかった。

当市における市民の昼夜間の人口の移動状況を見ると、人口がおよそ8万人であり、そのうち都内への就業者の流出が2万2千人、同流入が6千人であり、流出人口の4分の3、流入人口の3分の1が都内である。この実態からわかるように、和光市は埼玉県の一部をなしてはいるものの、結びつきが強いのは圧倒的に都内であり、和光市は区部に多数の労働力を提供している一方で、区部の存在を抜きにしては成り立たない地域である。埼玉県南においては程度の差こそあれ、一般的に似たような実態がある。

さて、この都県境が定まった経緯であるが、明治初期、和光市を含む朝霞地区四市(朝霞、和光、志木、新座)の大部分は練馬区の一部とともに品川県新座郡の一部をなし、その後、入間県への編入等を経て、入間県と埼玉県の合併時に江戸期以来、歴史的には荒川を挟んでつながりの希薄だった埼玉県に帰属することとなった。現在の都県境は、この地域においても地理的歴史的なつながりではなく、歴史的な綱引きの中で定まってきたことが分かる。

しかしながら、財政面を見ると類似の立地である板橋区、練馬区がそれぞれ特別区財政調整交付金として巨額の再配分(交付金)を受けていることと比較すると、和光市が収納する相当部分の税収はあまりに乏しい。両区と和光市のサービス格差は子どもや障がい者の医療費補助をはじめとする随所で見られる。

都県境は土地の利用実態にも影を落としている。板橋区には市街化調整区域はなく、成増~西高島平地区の駐車場料金は乗用車一台あたりで2万円前後であるが、市街化調整区域に当たる和光市白子4丁目地区では8千円程度であり、この差異により和光市下新倉地区の市街化調整区域には数百台の都内ナンバーの自動車やトラックが登録、駐車している。都内では立地の難しい産業系の瓦礫やごみの屋外処理施設もまた、農地転用により高い借地収入を得られるとして、多数の立地があり、周辺の景観を悪化させている。現在、この地域の一部を市街化編入し、土地利用の適正化を図るべく土地区画整理事業の準備が進められている。この事業の国県負担分を除く補助については当然のことながら市の都市計画税を投入することになる。

さらに言わせていただくなら、都営地下鉄が光が丘や西高島平でぶつりと切れているのも原因は同じである。はたして、東京と埼玉が一体であればこれらの事象は生じたであろうか。

しばしば新潟県の泉田裕彦前知事は東京という大都市が成り立つ背景には新潟県や福島県の大きな犠牲があるという主張をしてきたが、東京都心を取り巻く周辺都市もまた、都心との関係では同様、いや、さらに直接的な課題を抱えている。そして、広域自治体としては細かすぎる区割りについて、蝋山は前掲書において「もし、今日の府県制のままで進めば五十年後(筆者注:2003年に相当)の日本の地域構造は極めて歪められた、病的なものとなるにきまっているし、日本の生産力は発展を阻まれて、社会的危機に見舞われるにきまっている」と的確に現代を予見し「今日においてその対策を講ずべきはわれわれの子孫に対する当然の責務であろう」としている。その解決策が道州制であるかどうかは措くとして、首都圏という政治的にも経済的にも巨大な地域を一体的かつ効率的に網羅し、公平性を担保しながら適切な資源配分を行う関東州、関東都のような広域自治体を発足させ、効果的な施策を実施することによる経済効果はいわゆる「大阪都構想」の比ではない。そして、同様の状況は中京圏や関西圏、さらにはその他の地域でも存在することは想像に難くない。

和光市の置かれている状況は一例に過ぎないが、47都道府県体制の見直しは喫緊の課題であると言っても過言ではないことを指摘しておきたい。

 

『自治日報』平成27年1月26日第3726号p1「自治」欄に掲載時に字数超過で削除した部分を復活させ、(仮称)北インター東部地区土地区画整理事業に関する記述を加筆している。

 

参考文献

特別区協議会ウェブサイト

都庁ウェブサイト

『和光市史』

蝋山正道『地方制度の改革』(社会思想社)。田口一博新潟県立大准教授に蝋山論文をご紹介したたいたことが本稿執筆のきっかけとなった。田口准教授の示唆に感謝申し上げる。