ふるさと納税訴訟、泉佐野市の最高裁勝訴を機に、制度廃止の検討を! | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

ふるさと納税訴訟、泉佐野市の最高裁勝訴を機に、制度廃止の検討を!


「ふるさと納税の新制度から大阪府泉佐野市を除外した総務省の決定は違法として、市が取り消しを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁…は…国勝訴とした1月の大阪高裁判決を破棄し、除外決定を取り消した。…裁判長は、国の除外決定を「違法」と述べた…」。
記事ではこの判決の二面性が詳しく書かれいてます。

「訴訟では、法令上の規制がなかった過去の時点での自治体の行為を理由に、国が除外を決めたことの是非が争点となった」わけですが、「小法廷は、基準ができる前の自治体の行為まで、国が問題視することはできないと指摘」し、過去にさかのぼるとした告示の規定を「違法で無効」としました。この部分だけ読むと泉佐野市の全面勝訴なのですが、一方で 小法廷は異例にも下記のようなコメントをしています。すなわち、寄付金集めをエスカレートさせた手法は「社会通念上、節度を欠いていたと評価されてもやむを得ない」。

要するに泉佐野市は制度に形式上反しない範囲ではあるものの、制度趣旨に合わない形で寄付金集めをエスカレートさせた、という事実は最高裁も認めたのです。
一方で、遡及的に制度を適用してふるさ納税制度の適用自治体から泉佐野市を除外したことはやはり違法である、ということでこの判決で裁判所の判断は確定しました。

一方では、泉佐野市側の事情があります。即ち、市債が膨らみ、一時は夕張市に次ぐ厳しい財政状況に追い込まれていた。また、政府は自治体側の自主規制を当てにして「ザル法」ともいえる制度を構築し、一部の意に沿わない自治体には「指導」を行いつつ、長期間にわたり、制度を改正することなく放置しました。また、泉佐野市等が実施した「アマゾン商品券」などの極端な客寄せ商材は用意しないまでも、過度な返礼品を用意し、都市部からふるさと納税を吸収し続けた自治体は多数ありましたが、泉佐野市は過度な行為はあったものの、見せしめ的に適用除外となり、千代松市長は政府とあえて最高裁まで争い、今回の判決を勝ち取りました。
我々流出側の自治体としては、今回の経緯についてよりも、ふるさと納税そのものの制度欠陥をこれまでも問題視してきました。
特に私がこれまでも批判してきたのは「返礼品」への採用が汚職の温床になるのではないか、という課題です。実際に某自治体ではそのようなことも起こっています。

何より、ふるさと納税には納税額が多い人だけが返礼品をゲットできる、しかも、それで地元の税収は減るが、減った影響は納税額が多い方にも少ない方にも(悪)平等的に及ぶのです。

ここでそもそも論を加筆します。(7月5日加筆)
そもそも、ふるさと納税は「元来、地方で生まれ育った者が進学や就職を機に上京し、そこで納税し、その結果、都会の地方公共団体が税収を得る一方、ふるさとの地方公共団体には税収がないことは均衡を欠くという受益と負担のライフサイクルバランス論の観点から、自己の意思でふるさとに納税する制度を設けられないか」という問題提起から生まれたものの「実際に設けられた制度は納税の分割方式ではなく、地方公共団体に寄付が行われた場合に寄付金控除を行う仕組み」となっている。また、寄付先も「ふるさと」に限定されるものではなく任意に選択可能である。
「税の分担方式が採用されなかったのは、住民税が地域社会の会費であり」、受益と負担の関係や負担分任原則の問題を回避するための方便としてこのような形をとったものであり、正直なところ、「ふるさと納税」という制度の名称自体、羊頭狗肉であると断ずるのが妥当である。
(加筆部分のカッコ内は、宇賀克也「地方自治概説」p389より自説に都合よく引用。)
加筆終わり。

ということで、この最高裁判決が、ふるさと納税という欠陥制度全体の廃止につながることを強く望んでいます。

https://mainichi.jp/articles/20200630/k00/00m/040/177000c?inb=ys