「生活保障、営業保障」の財源を考える〜国民が買う永久債という思考実験 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

「生活保障、営業保障」の財源を考える〜国民が買う永久債という思考実験

リンク先では「国民が買う永久債(コンソル債)」で生活保障や営業保障をまかなったらどうか、という提言がコロナ債の名で真面目に考察されています。
実現の可能性は高くないですが、これこそが今回のコロナ禍への財源としてはベストな施策ではないかと思います(ここでは財源論だけを扱います)。

私も典型的な税金でメシを食わせていただいている立場。スポンサーが誰か、ということはいつも気にかけています。
スポンサーはというと、「俺たち納税者だろ」というのがど真ん中の答え。でも、実際には現在だけでなく、未来の納税者の税金が政府や自治体の大きな財源となっています。

自治体は地方交付税や地方債(いわゆる返済する期日が決まっている地方の借金)が複雑に絡み合っていますが、国の財源は単純化して言うと今の有権者6、未来の有権者4ぐらいの割合なので、わかりやすい。つまり、国会議員が政策判断をする際には、この6対4を意識する必要があります(もう少し言うなら、インフラには過去の税収も投入されている)。

さて、永久債です。これは元本は返金されず、金利が永久に支払われる債権のこと。これを国民が個人で買ってみんなの今を支える財源とする。どうなるのかというと、集まったお金が生活保障の原資となります。

この優れている点は、まさにみんなでみんなを支えるという、公共の施策の原則に忠実だから。

これが一般の財源と混ざってしまうと、誰が負担するかがよく見えない、今までと同じことになってしまう、ということ。

生活保障は国や自治体がやってくれて当然、という論調はマスコミがお得意なのですが、本当にそうでしょうか?

実のところ、国も自治体も価値を生む能力は持ちません。できるのは社会から金を集めていわゆる市場に任せるとうまくいかない部分を担う、ということのみ。
みんなのお金でみんなを支えるのが公共ですから、当たり前のことです。
私を含む公務員は、その際の駒に過ぎません。

永久債はまさにそれが明確になる、わかりやすい手法と言えます。

実現するとは思えませんが、思考の実験としては面白いですね。