役所を生かせない政治家や政治家集団には、いい仕事はできない | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

役所を生かせない政治家や政治家集団には、いい仕事はできない

市長という仕事に携わらせていただいて11年近くなります。市役所という組織は官庁としては規模も小さく、中央官庁どころか県庁と比較してもずいぶんまったりしたところです。それでも痛感するのは、役所に膨大に蓄積された事務手続きや業務の処理のノウハウがあるということです。
市長になってまず驚いたのは、たとえば公約を実行しようとする際に、すでに企画部(特に当時はとても気の利く審議監がいました)がある程度の腹案を作ってくれていて、それをいじくるだけで思ったよりもスムーズに私の公約に取り組めたということ。
また、東日本大震災でも、震災対応について、当時はまだBCPも出来ていなくて、大きな方向性は私が必死で考えて示さなければならない場面がしばしばあったものの、職場に来れない人々がいても仕事は何とか回すし、その底力みたいなものを感じました。
そのパフォーマンスを引き出せるかどうかが政治家には問われている、と日々感じています。

ましてや中央官庁となると、縦割りとか、仕事の質の低下とか、いろいろと言われるものの、とにかく役所力、役人力はけた違いに凄いです。
ですから、政権与党に必要なのは官庁のノウハウを存分に使い倒し、官僚の能力を気持ちよく発揮させることであり、仮に政治主導で政策を変えたいにしても、そのための調査なんかは官僚の力を使って、嫌がるならなだめすかして仕事をすることなのだと心得ています。角さんはそれが抜群にうまかった。

ところが、政権交代後の某政権から始まったのは(いや、小泉政権ぐらいからそういうものが始まったかな…)官僚や官庁の力をうまくいかせない「政治主導」。
その悪い流れは今も続いています。


そもそも、例えばですが、明治維新と言うと新政府は全部新しく作られたように思っている人もいますが、そんなことはなくて、幕府時代の役人が山のように横滑りしています。
現場の実務というものはゼロからは作れないのです。

ここのところ、学生時代に日本法制史の単位を取って以来、30年ぶりに中世以降の日本史の本を読み漁っているのですが、あらためてなるほどな、と思うのは平家政権と源氏政権の違い。
平家は大和朝廷以来の天皇=公家システムに平家が入り込むことで政権を取ったのですが、源氏→北条氏は鎌倉に第二の政府をつくって、京都から下級公家を招き、役所を回すノウハウを取り入れながら少しずつ独立した武家政権を作り上げていった。もっとも、当初はほぼ警察や軍事に限定された守護と地頭を全国に配置し、そこから少しずつ天皇=公家の京都政権の権限を削り取って行ったわけです。
その後、天皇=公家の京都政権の権限、そして役所のノウハウを武家がほぼ手中に収めるのに400年以上要している。これこそが官庁の歴史の重みであり、凄みでもあるとあらためて感じています。


私は皇室は好きですが、天皇制が時代を超えて生き残った背景には、天皇=公家の行政システムが全国的に「幕府」の成立後も機能していたことがあると思っています。もちろん、それは律令制の理想を体現したものではなく、荘園制に立脚する「職の体系」の上に立つものではあったわけですが。


話がそれましたが、役所を生かせない政治家や政治家集団にはいい仕事はできない、と思います。この数日、そんなことを痛感しています。