井手英策『いまこそ税と社会保障の話をしよう』~ソーシャルワークの時代を支える財政論 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

井手英策『いまこそ税と社会保障の話をしよう』~ソーシャルワークの時代を支える財政論

慶應の井手英策先生の新著『いまこそ税と社会保障の話をしよう』が出ました。著書といっても今回の本は少人数の相手との対話をまとめたもの。しかも、対話の相手はSNSで繋がっている、しかし、さほど距離の近くない方々。
そして、本書が扱うフィールドは財政学というよりは財政哲学的な話です。


井手さんの財政論には、神野直彦先生の財政論に輪をかけたような「魂の財政論」的な気迫があり、それが彼が財政学者の中で異彩を放つ要因となっているのですが、まず本書ではその背景が家族という切り口で語られます。

母と叔母という2人の女性に育てられた生い立ちから始まる序文。なるほど、井手さんの熱さの背景にこれがあったか、と納得しながら読み進めます。


最初のお題は「自己責任論」。江戸時代、明治時代から現代に続く自己責任社会という背景があり、その上に立った勤労国家の経済的な成功、そして経済成長の鈍りとともに必然的に積み上がった財政赤字。
経済が成長しなくなって残ったのは莫大な政府の負債と自己責任社会だけだった。
全員に保証されるのは安全保障と外交、義務教育だけ。
井手さんは社会保障のうち、全員に保証されるものを「みんなの利益」と呼んでいます。日本ではこの3つだけがみんなの利益。
これが狭すぎるんじゃないか、というのが問題意識です。
他は個別的な社会保障であり、みんなの利益ではない。これを分断型の財政として、分断型の財政は「あいつらから削れ」を生む。社会を分断する。


そんな分断社会への日本の変質を歴史的に数字で検証するのが第二講。


会社が社会保障の大きなプレーヤーになってきた昭和から、企業の没落により、もう、社会を支える力がなくなった今の社会。その結果が「エリートになるために競争する社会」ではなく、「普通に生きるために競争する社会」である。

皆の負担を増やすことで「みんなの利益」の守備範囲を増やし、「頼りあえる社会」をどう実現するかを展望するのが第三講。
ここではポピュリズムとの付き合い方についても議論されます。いわく、ポピュリズムは「代表してもらえない人の怒りを吸い上げる」。としたら、その形をとるのではなく丁寧に議論を積み重ねて合意を積み重ねる。そして、実現可能性のある政策と政策をたたかわせる王道に立ち戻るべきでいる、と。
そして、頼り合う社会のための財源を増税で確保すべきである、と言う。
先生の「損をしたり得をしたりするけれど、そのときどきでみんながビクビクしなくていい社会」とは言い得て妙です。


第四講ではまず、現代を「危機の時代」として、日本の危機の時代を振り返ります。縄文末期の寒冷化、平安末期から南北朝期、江戸時代の中後期。いずれも気候変動で危機の時代となり、公共部門の再編が起きている。
スウェーデン、1928年、社会民主労働党のハンソンの演説。「国家の家についての演説」。左派でありながらあえて保守の文脈に通ずる「国家の家」という表現を使い、保守層の支持を取り付けながら現代のスウェーデン社会につながる社会民主主義の礎を確立する。
もっとも、同じ時代に日本は国家の家ともいえる家父長制的なイデオロギーをまとい、全体主義に陥った。
危機の時代を乗り切るために必ず出てくる支え合い、満たし合う、という動きはポピュリズムにもつながる。
1935年、フランクリン・ルーズベルトは世界に先駆けて社会保障法を作った。当時、ルーズベルトが平均的な市民を念頭に社会的包摂を語った。
今、新たな危機の時代に「分配の大転換」ともいうべき政策の変化が始まっている。
そして、これまで現代社会は経済の時代だった。人生の大切な決断も生活上の判断も経済をベースに判断されてきた。この経済は消費につながっているが、消費の中身にはどういうものがあるか。ひとつは見せびらかしの消費。顕示のための消費ともいえ、欲望のための消費ともいえる。
次に、個人的ニーズのための消費。典型は電車で移動する、というようなもの。
3つ目は社会的ニーズのための消費。医療とか教育とか。
著者は、縮減の世紀には顕示のための、欲望のための消費はシュリンクしていくと考えている。そこにマーケットの変質があるのではないか、と。
欲望からニーズへの変質です。
シェアエコノミーも「それで儲かり」「経済が成長する」のではなく、所得が増えないから出てきた。
そんな時代に活躍するのがソーシャルワーク。
そして、時代は経済の時代から、ソーシャルワークが機能するプラットフォームの時代に移行する。政府はサービス提供の主体からプラットフォームの担い手となる。

本書の考え方との出会いは、全国市長会「ネクストステージに向けた都市自治体の税財政のあり方に関する研究会」の学識経験者委員として井手先生が講演をされてから。
市長会である程度共通認識となりつつあるのは、ある程度財政規模を膨らませて、それを原資にソーシャルワークを徹底し、子どもたちの育ちを中心に格差への対応を進めなければ、日本社会(や経済成長)をこれまで支えてきたある程度均質で良質な国民性と安心安全のコミュニティが崩壊してしまうのではないか、という危機感です。
そして、市長一人ひとりに問題意識の濃淡や対応の手法の別はあれど、いま、格差の是正を放棄したら特に地方の社会は崩壊するだろう、という展望でもあります。
そのためにはやはり、財源が要る。たとえば地域包括ケアをやるにも大きな財源はかかります。

井手流の処方箋がどの程度、現実性を持つかはわかりませんが、地域に直接入り込んで仕事をしている我々自治体の人間には、本書は結構響きます。

ちなみに「お前は自由主義者だろうが!」とお叱りを受けそうですが、自由な経済、自由な市民社会の実現のためには、イコールフッティングは不可欠です。ベースを揃えるのが出発点ということですね。


なお、実は私も2行だけ出てきます。ぜひ、探してみてください(笑)