政治スキャンダル隠しの逮捕?ないですよ。ただ、マスコミの忖度はある | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

政治スキャンダル隠しの逮捕?ないですよ。ただ、マスコミの忖度はある

タレント逮捕のタイミングが政治スキャンダル隠しである、という言説がまたぞろ出てきました。これは、人間の基本はというと、合理性とはかけ離れ、ややもすれば知的とされる人でも簡単にダークサイドに落ちる、という証左です。
そもそも、我々の社会が大きくなったのは、7万年前、たまたま草原で生き残るために集団生活の規模が大きくなった流れの上にあるだけ。基本、我々は動物と少ししか違いません。迷信もあるし、とんでも医療にも引っかかる。

だからこそ、合理的な観点からそれは違うよ、と言い続けることに価値があり、必要がある。

以前、映画にもなった「ポストマン」というブリンの小説がありました。核戦争後の荒涼とした世界をポストマン、郵便配達人として渡り歩く主人公が、ある村でシェイクスピアの一人芝居をやります。すると、昼間は野蛮な動物の決闘に興じていた村長が涙を流して呟きます。
「俺たちはいつからこういうものを忘れて野蛮な人間に成り下がっちまったんだ」的なことを。
ブリンは、人間の徳性とか、自由とか、民主主義とかそういうものは口を開けて待つのでは手に入らず、闘って勝ち取るしかないんだ、と言いたかったのだと思います。

また、少し前に売れましたが、ヨーロッパで人権や人権のベースとなる所有権が生まれたのは時代の流れではなく、ペストによる人手不足で領主たちがやむなくそういうものを与えた、という主張をする本があり、ごもっともな話だと思いました。
ヨーロッパにおける所有権の発生、つまり、農奴からの脱出は、歴史の必然ではなく、単なる棚ぼただった、と考えるのは胸が苦しくなりますが、ペスト禍がなければ社会の構造は動いたでしょうか。

ただ、我々は歴史に学び、合理的になれる存在でもある、これもまた事実。

そして、ここは某元租借地でもなければ北の首領様の国でもありません。

もっとも、報道機関の忖度があるかないかというと、昨今の日本のマスコミの体たらくですから、あるんだろうな、とは思います。