市内小学校卒業式祝辞 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

市内小学校卒業式祝辞

市内小学校の卒業式で代理出席の学校における私の祝辞を転載します。

なお、出席した本町小学校については、原稿を使用していませんので若干内容に違いがありますが、大筋は同じです。

 

「春を告げるたくさんの花々が市内を彩る今日の佳き日、和光市立***小学校の卒業式がこのように盛大に挙行されますことを心からお慶び申し上げます。
 本日、小学校のすべての学習を終え、卒業証書を手にされました卒業生の皆さん、本当におめでとうございます。ご列席のご家族、教職員の皆さまには、これまでのご労苦に深く敬意を表します。また、ご来賓の皆様方の日頃の学校活動へのご協力に対し、厚く御礼申し上げます。
 さて、平成という時代が間もなく終わり、5月にはあらたな元号の時代が始まります。振り返ると、平成が始まった30年前、世界経済のおよそ5分の1を日本の経済が占めていました。しかし、少子高齢化をはじめとするいろいろな要因があり、今ではその割合は世界の17分の1程度にすぎません。私たちの社会が活力を維持するためには男女の区別なく、年齢を問わず日本人一人ひとりが自分らしく輝き、活躍する必要があります。
 そこで、今日は皆さんへのはなむけに、ことし没後50年を迎える郷土埼玉の偉人である辻村(つじむら)みちよさんをご紹介します。
 辻村さんは日本初の女性の農学博士で女子の化学教育に尽力された人です。今から130年前の1888年に埼玉県桶川市で生まれ、最初は学校の先生をしていましたが、女性の先輩研究者たちに刺激され、北海道帝国大学、現在の北海道大学を目指して北海道に行きます。
 しかし、当時の北海道帝国大学はまだ、女子学生を受け入れていなかったため、給料の出ない副手、今で言うアシスタントとして研究者としての一歩を踏み出しました。その後入所した、まだ和光市ではなく東京都文京区にあった理化学研究所で、お茶には含まれていないとされていたビタミンCを抽出するなど、お茶の研究で活躍します。それまでの海外の研究では、紅茶をいれる沸騰した熱湯を使っていたためにビタミンCは壊れ抽出することができませんでした。辻村さんは日本茶をいれる際のもっと低い温度のお湯を使て実験に成功したのです。まさに日本人ならではの発想です。
 辻村さんはその後も、同じくお茶の成分であるカテキンやタンニンの研究論文をまとめて東京帝国大学に提出し、女性としては初めて農学博士となりました。そして、戦後はお茶の水女子大学、実践女子大学などで亡くなる5年前の75歳まで一貫して女子の化学教育に尽力します。
 辻村さんは女性が研究者として活躍するにはたくさんの壁があった時代に、それを乗り越え、日本人ならではの知恵を絞って目覚ましい成果を挙げました。皆さんもまた、なりたい自分になるためには、たくさんの壁を乗り越えなければなりません。頑張っている先輩の背中を見ながら、自分なりの努力をしていただければと思います。
 さて、皆さんは四月から中学生です。中学校に入ると、勉強だけでなく部活動など、大変忙しい毎日が始まります。しかし、中学校の3年間はたくさんのことを吸収し、どんどん成長できる時期でもあります。臆せずに、中学校での生活を楽しんでください。

 皆さんが困難を乗り越えて行く強い心を養い、周囲の人々を思いやる優しさを持てば、中学校生活はより良いものとなることと思います。
 結びに、卒業生とご列席の皆様のますますのご多幸をご祈念申し上げ、お祝いの言葉とします。
 本日はまことにおめでとうございます。」