望月記者問題!〜報道の自由と記者クラブ、そして会見と取材 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

望月記者問題!〜報道の自由と記者クラブ、そして会見と取材

私も根っこは出版人なので、望月記者問題について一言。
この問題は二面あります。

まず、①仮にどんなに振る舞いのよろしくない記者がいようとも、それを理由に権力側の報道規制を受け入れてはダメ。「よろしくない」という概念には解釈の余地があるし、報道の自由は際限なく制限される。
望月記者の質問が、記者として会見での振る舞いとしては少なくとも質が高いものではなないことは、報道や出版に関わった人間ならわかる。
素人受けはしますけどね、国会の派手な「ソーリーソーリー」という質問が総理にはなんの痛撃も与えないように、中身はない。
しかし、質の低い質問や振る舞いをする記者を守ることにより、報道の自由の制限の契機を与えない、という本質的な意味があります。

もう一つ。②「振る舞いのよろしくない記者」を野放しにすることで、記者クラブの権益は制限されるリスクを持ちます。
記者クラブとはあくまでも便宜的、恩典的なものであり、権利側の好意と報道側の利便性で成り立っているもの。
だから、振る舞いのよろしくない記者を排除することで、記者クラブの恩典は守られる。

2つを見比べるとわかるんですが、報道の自由はあくまで報道の自由であり、これを守ることは知る権利に資するものかと思われます。
また、記者クラブの権益は、これは私企業の権益と記者の利便です。

ということで、記者たちもバカではないので望月黙れ、とは言わない。
東京新聞本体としては、記者クラブの権益は必要なので、それなりのコメントをしていますね。

ちなみに、会見で聞いたことだけで書く記事はベタ記事だったり、記事の一部にしかなりません。
正面玄関には普通のネタしか落ちてはいないのです。
そして、「調査報道」という言葉がありますが、記者の能力が問われるのは、会見の外の調査でネタを拾う力。

私たちが定例会見でネタを提供したとして、記事になった時に「えっ?そこまで取材したの?」と感心するような、時にはビクッとするような記事を書く記者と、会見の中身を単純なベタ記事にする記者がいて、前者には職人技と愛を感じます。後者は「冷たいなあ」という感じでしょうか。

議員の質問もそうなんですが、正面からの、憶測に基づく強硬な追及はそんなに怖くはない。
文春砲や優秀な議員の質問が怖いのは、隠し球を持っていて、しれっと落とし穴に相手を追い込むから。

つまり、報道の自由を守るためには、記者としては「素晴らしい」とは言いがたい望月記者を守らなければならないのです。
そして、菅官房長官は報道のこのようなあり方、性質は熟知しているので、我慢強く付き合いました。最後は怒っちゃいましたけど、あれは嫌になったというより、戦略的にああいう発言になったのでしょう。
私なら多分、永遠に付き合いますけど、官邸内部にだんだんと我慢ならない、という雰囲気が出来てきたのではないかと思います。そうなると、官房長官がいいよいいよと思っていても、周囲の圧力でそうも言ってられなくなります。