あの阪神淡路大震災からはやくも24年です。
明石市生まれの私にとっては、青春の街である神戸三宮が壊滅的な被害を受け、防減災ということを強く意識するきっかけとなりました。
和光にいて、ただ呆然とテレビの前で惨状を見守ったあの日。
翌週、両親の手伝いのため、明石市に向かい、途中、神戸市中心部の鉄道が寸断された地域を歩いて通りました。
震災の日に亡くなった親族はいませんでしたが、身内からも関連死が出たり、復興住宅に入った者もいました。
あのとき感じたこと、経験したことは決して忘れることはないし、この日が来るたびに、地域の災害対策について、決意を新たにするところです。
