維新150年!?戊辰150年!? | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

維新150年!?戊辰150年!?

今年はいわゆる明治維新150年。
たまたま今年、私は非官軍の2つの街を訪問する機会を得ました。

一つは宮城県白石市。片倉小十郎で有名な城下町です。
白石は奥州列藩同盟が結成された場所。...
戊辰戦争当時、新政府は会津藩討伐を命令。東北・北陸諸藩は白石城に集まり、明治新政府に対抗すべく準備を行います。その後、奥羽越列藩同盟が仙台で正式に樹立されました。奥州サイドで見るなら、これは明治新政府に対抗する北日本政府。これを一方的に「賊」とし「朝敵」であると断ずる薩長新政府が勝利を収めたからこそ、他の地域では歴史教育では官軍と賊軍という図式の中でこの戦争が語られています。
しかし、白石市はこの不幸な歴史を奥州サイドに立って検証した映画「賊にはあらず」をわざわざ撮影、郷土史の学習に生かしています。
郷土の誇りを再確認でき、見る者に奥州列藩同盟の目指した理想をも瞼に焼き付かせる作品として、作品の出来はもとより、その制作に挑んだ市の思いに感銘を受けました。

 

もう一つは新潟県長岡市。河合継之助で有名ですね。
「王政復古の大号令」からの流れを薩長の謀略とし、徳川幕府復権を唱えたのが長岡藩。そして、その軍事総督・河井継之助は武装中立を志向し新政府軍との和睦を目指しました。世にいう「小千谷会談」です。結果的にこれは認められず、継之助は敵に利用されないように、と長岡の街を焼き、新政府軍との戦いに臨みました。
長岡の場合はその後の話がメインで、継之助が焼いた長岡の町はその後、貧困にあえぎ、そこに支藩である三根山藩から救援米「百俵」が届けられました。しかし、大参事小林虎三郎はこのこの救援米を売り、その資金で学校を作る。これが現在にも続く名門校 長岡高校である、というお話はもう私が説明するまでもないでしょう。
この「米百俵の精神」は今も長岡市民に息づいていますね。

 

このどちらの自治体でも維新150年とは言いません。それは賊軍ではない、という気概とともに「戊辰150年」と呼ぶからなのだそうです。

単純に明治維新を積極評価することも、逆に批判することも、私にははばかられます。
人にはそれぞれの立場があり、組織にもそれぞれの背景があります。当時、たまたま新政府軍とは異なる「義」を唱えた人々がいました。当時、そのような義のもとに日本が構築されていたとして、それが成功したかどうかはわかりません。
ただ、地方に立脚して仕事をする者として、この地方の立場で苦悩し、選択し、犠牲になった人々を忘れないことは確認しておくべきである、と考えます。

いずれにしても「維新150年」は大きな節目です。個人的には積極的な評価が半分、そして、犠牲になった人々への追悼が半分、というバランス感覚で捉えたいですね。