全国青年市長会総会・視察で熊本へ(前半)
時間がたってしまいましたが、17日のご報告(前半)です。
当日は、全国青年市長会の研修として、熊本城の被災と復旧の状況を視察、場内の立ち入り制限地区も含めて状況を拝見しました。20年、300億円というスケール感で「創造的復旧」が行われます(100年スパンで江戸末期の姿に戻すことを目指す)。
石垣については、テレビ報道では加藤清正が作ったものは壊れていない、という誤った認識が流れましたが、実際には角度が急だったり高さがあると壊れやすく、他にもさまざまな要因がありましたが、「壊れやすいものは壊れている」とのことでした。また、明治の震災で壊れたところは陸軍工兵隊が補修したため、再度壊れたところが多いようでした。
400年前の姿をとどめている宇土櫓が今回、崩壊せずに残ったのは加藤清正だから、というコメントもこれまたテレビではあったそうですが、実は後世に入れられた金属製のブレスが効いた、とのことで、木造建築へのブレスによる補強が効いた、というごくごく普通のお話でした。
昼食時には、大西熊本市長から、震災直後の状況等について示唆深いお話を直接聞かせていただきました。
熊本震災直後、緊急携帯が全く役に立たなかった話、市の食料備蓄のやり方の課題(和光市も取り入れているスーパー等との事業者との協定によるやり方が無駄がなくて良い)、救援物資の物流などの扱いは事業者に依頼すべきであるという話(和光市も取り入れている)、備蓄センターを集約したことによる弊害等々。
こちらの情報収集で把握していることもあるのですが、市長の実感をお聞かせいただき、大変参考になりました。また、震災後の取り組みの記録を参考にいただけることになっているので、阪神淡路以来の都市型の巨大震災の貴重な記録として、大いに参考にしたいと思います。
大西市長も長岡市長(森前市長)の記録をかなり参考にされたとのことでした。
(後半に続く)