代表を出すと税金が高くなる~イギリスであった本当の話 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

代表を出すと税金が高くなる~イギリスであった本当の話

常見陽平氏の「今の日本に民主主義が無理な理由」が話題になっています。
http://toyokeizai.net/articles/-/55478?page=1

一人一票でないと民主主義ではない、というのは現代の感覚でいえば文句なしにそうだと思いますが、それが理念として実現されたのはごく最近のことです。常見氏は「升永弁護士は、飛鳥時代から日本には民主主義はなかった、と言ってるぜ」と息巻くものですから、面白いことを思い出しました。それは14世紀のイギリスのでのことです。


当時、議会には三身分の代表が送り込まれていました。すなわち、「聖職者」「世俗貴族」「庶民」です。 庶民の代表は、一定額以上の土地(完全な所有権)を持つ者のみが投票できる制限選挙により選ばれていましたが、都市は都市の代表を出すかどうかをシェリフ(といっても保安官ではない。州の長官という意味です)の権能の下、ある程度選択することができました。

そして、面白ポイントはここ。代表を出さないことを選択する都市が多数あったのです。 理由は簡単。代表を出すかどうかで税が変わったのです。もちろん、代表を出すと税が重くなるんですよ。州では十五分の一税のはずが、代表を出す自由都市となると十分の一税になってしまうのですから、気持ちはわかります。さらに、俸給もまた、地元負担というのですから、ますます「代表なんかいらん」という都市が増えるのもわかります(しかも、インフレにより、当初の「40シリング相当の土地を持つ者」の価値が新大陸での銀の発見により大きく下がってしまいます)。

もちろん、これは15世紀のうちには改められたようですが、飛鳥時代も何も、15世紀の途中までは民主主義の本家でもこんなことを平気でやっていたわけですよ(しかも気持ちがわかる、というところが我ながら情けない)。


ただ、わが国の民主主義は歴史が浅いということ、そして、明治維新と敗戦を機に連続性がないわけではないものの、大きな断絶があること、こんなことは現代の政治風土に影を落としているのではないかと思います。イギリスでは800年以上、比較的断絶することなく政治風土が熟成されてきました。

我々が日本なりの民主主義を構築するとしても、イギリスとまったく同じ、アメリカのコピー、というようなことはありえないわけですが、例として挙げた上記のような古い民主主義の歴史(もちろん、わが国の明治~大正期にも面白い話は無数にあると思います)にも光を当てて議論し、「当たり前じゃん」で済ませることなく、「なぜ一人一票か」を深掘りしたいなあ、と常見さんの記事を読みながら思いました。