台風の夜に考える…、ニューディーラーたちの実験場だったGHQ統治時代の日本
台風の暴風が行ってしまうまでは寝るわけにもいかないので、最近考えている論点について、ざっと整理してメモします。
千葉準一「改革の実質的な「担い手」は,こうした改革を理想としながらも祖国米国でも実現できなかったことから,占領国日本を実験台として実現しようとした GHQ の New Dealer 達であった。」『戦後「企業会計基準法」構想の形成と崩壊』
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6160/1/78-1chiba.pdf
ここに引用した会計学者・千葉準一氏の研究ノートは、実現しなかった「会計基準法」というやはり米国にも存在しなかった社会実験を志し、それが挫折する過程をまとめています。戦後の会計史はアメリカ式を取り入れて発展していった、というとらえ方が主流なのは千葉氏も述べていますが、実はそれを超えた社会実験の萌芽が当時はありました。たまたま、この分野ではこれは潰えたわけですが、まさにあの時代の機運、空気をうかがい知る貴重な材料として興味深いです。
さて、こういう社会実験は無数にありました。そして、現行憲法の制定はGHQのニューディーラーの壮大な社会実験の一部なんだよね、ということがあらためてそれらに思いをはせるとじんわりと理解できるわけです。
しかも、それが我々の現代社会のDNAの一部として今も生きている。農地解放しかり。
ですから、「戦後レジームを超えて行こう」なんてものは本気で考えると生半可なことではないわけです。まあ、無理でしょう。転移したガンをすべては取れないようにそれらはあまりに日本社会の本質に絡みついています。
私にはこのような壮大なことをまとめる能力はないのですが、少なくとも、ニューディーラーたちの注入したある種の社会主義的な精神や仕組みと戦前からの連綿とした制度や組織、人の絡み合いが今の社会を作っているということは意識すべきである、と思います。
もちろん、諸制度をニューディーラーがやりたい放題で作ったわけではなく、日本側の意見も入っていたりはするわけですが…。
日本人として現行憲法に向き合う時、現行憲法が好きでも嫌いでも、改憲派でも護憲派でも、ニューディーラーたちが我々の社会を彼らの母国ではできない形でいじくりまわしたこと、そして、それが今も一部では生きていることを意識すべきなんだろうな、と思います。
それも社会の根深いところや重要なところで。