南相馬市へ、炊き出しの手伝いに1
先日、南相馬市を訪問し、義援金と缶詰をお届けしましたが、その際に先方に相談をさせていただいた、知人が運営するNPO法人の炊き出しが実現しました。
15日当日だけたまたま日程を丸ごとあけることができたため、私も同行しました。
今回は、NPO法人比企フィルムコミッションの松坂理事長を中心に、原町二中の避難所に行き、生寿司の炊き出しを行いました。
私は比企フィルムコミッションと南相馬市役所を繋いだ関係で、急遽、この炊き出しに個人的に参加することとなりました。
夜中の2時に東松山市内で集合し、川島町の「寿司懐石そうま」さんのマイクロバスで現地に向かいました。
現地には朝8時過ぎに到着し、炊き出しの予定時刻まで時間があったことから、市内の視察を行いました。
遠くに高圧線が途切れている場所があったため近づいてみると…。
田んぼの中に鉄塔がぐしゃぐしゃになって倒れていました。
また、田んぼは一面の泥に埋まり、下を掘ってみるとその下には海砂が、さらに下からはがれきの破片が出てきました。
鉄塔の根本はというと、紙細工のようになぎ倒されていました。
付近の集落跡です。ご覧の通り、ほぼ壊滅状態でした。集落跡だったということも、後で南相馬市の職員に聞いて分かったほどです。
この付近はギリギリ津波が止まった辺りです。ただ、周辺でも犠牲者が多数出たそうです。よく見ると、電柱などが引きずり倒されていることが分かります。
次に多数の入居者が犠牲になったとの報道があった老健施設「ヨッシー」へ。もちろん、既に報道で「一面泥の海」と出ていた泥の片づけは終わっていました。現場には花が手向けられていました。
犠牲者の方々への心よりのご冥福をお祈り申し上げました。
現場には午後3時32分頃を示したまま止まった時計がありました。
一方で、高いところにあった時計はまだ時を刻んでいました。
ここでたくさんのお年寄りが亡くなられたという事実の重さ…。
阪神淡路では一面焼け野原であり、焼けこげた臭いが今も脳裏に残っていますが、ここでは泥の臭いと海の臭いの混じったような独特の臭気が印象に残っています。
そろそろ時間ということで、炊き出しの会場である原町二中避難所に向かうことにしました。
すみません、あまりたくさん写真を並べて現場の光景や現地の方の話を思い出して書いていると精神的にきついため、続きは後日書かせていただきます。