間もなく県議会議員の選挙です | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

間もなく県議会議員の選挙です

4月1日から、埼玉県議選が始まります。

投票日は10日です。

県政という点で、今回の東日本大震災で明らかになったことは、県内自治体をまとめ、一丸となって大災害に取り組むための、県庁のコーディネート機能にまだまだ課題があるということです。

これは静岡県内の首長とのやり取りの中で痛感しました。静岡県は地震対策先進県ですが、危機管理が全体的に充実していて、震災直後から県のコーディネイトのもと、各市町村がかなり効率的な動きをしたように感じました。

被災地への物資の支援一つとっても、静岡は県が責任を持って回収し、送付しましたが、埼玉は基本的に市町村の持参でした。

水道水騒ぎへの対応も課題でした。都の金町浄水場の100ベクレル超過のニュースとともに県水への関心が一気に沸騰しましたが、市町村への情報の積極的な提供はなく、和光市役所は一晩で100本以上の電話対応に徹夜で追われました。今は改善されましたが、当日は大変困ったことを鮮明に覚えています。

他にもいろいろと感じるところがありますが、要するに課題が山積なのは和光市も埼玉県も同じであり、議会議員に求められるのは今回のような事例をしっかり解析して、自治体の対応をチェックし、必要な提言を行うことだと思います。


ちなみに、県の対応についていくつか書きましたが、危機になって課題が浮き彫りになったことは、我が和光市も、埼玉県と同じです。

例えば帰宅難民対策も、県はあれだけ叫ばれてきた割には都内に取り残された県民へのうまいアナウンスができず、結果的に市町村の個別の対応になったという面が否めませんが、市も備えが十分だったかというと改善点があります。

私は当日、総務部長との電話打ち合わせで樹林公園の体育館を避難場所に決め、たまたま総合福祉会館にいた市民活動推進センターの方にその情報をツイッターで流したり、消防団と職員が誘導から避難者対応までをこなす中で、その全体像を把握しつつ、ツイッターで関係するであろう人々に道路や電車の情報を流すという作業を行いました。また、総合体育館など、現場を回り、職員の様子を確認し声をかけましたが、当日、職員は本当に徹夜で頑張ってくれたと思います。

(その先のツイッターのログはリンク先 をご覧ください。)

とにかく必死でしたが、そもそも学校が子どもたちの安全を十分に確認して帰宅するための仕組みや、保育園保護者の帰宅困難時の対応、職員の帰宅困難への対応など、もう少し事前にあってもよかったと思います。また、本当は和光市公式ツイッターをもう少し機動的なものにして、フォローしてくださった市民に情報を流す、あるいはメルマガの検討の可能性など、いくらでも事前にできたことはあったのではないかと思っています。

もちろん後付けではありますが、今後、山のような改善点に取り組む中で、市の職員だけではなく、広く市民から情報を集めうる市議さんの役割には大いに期待しています。

県もそうです。

しつこいですが、県議には県民の意見に耳を傾け現場を見るだけではなく、文献を探ったり勉強して、県の職員と対等に議論し、チェックする能力が求められています。

そういう意味で、今回の県議選は非常に大切だと思います。

和光市から送り出せる県議会議員はたった一人です。

勉強熱心で、気力・体力が十分にあり、機動力のある人物が求められています。

さらには、知事に遠慮せず、必要な提言ができる距離感が大切です。


私が埼玉改援隊を4人で作るときにこだわったのも、「市長の兵隊を作るのはやめようよ」ということでした。

市長の政策のイエスマンを作るようなマニフェストにせず、説明責任を果たし、オープンに議論することを中心にしたマニフェストを提示したのもそういう意味からです。

そういう意味で、改援隊は首長新党としては異例の集団であるということができます。


これまで、県政を意識しなくても十分に暮らしていけるという考え方の市民が多かった和光市ですが、災害を機に、県政の大切さ、改革の必要性を認識していただけたのではないかと思います。

単なる翼賛では困ります。ある時は協力して、ある時は新しい視点で提案して、またある時は厳しく追及できる、そんな県議が埼玉県全域でたくさん生まれることを祈ります。


まずは投票に行くこと。民主主義は投票から始まるのだと私は思っています。

被災地の状況を思うと、なかなか選挙を盛り上げる気分にはなれないと思います。しかし、こんな時こそ本当に必要な人物の見極めをしなければなりません。

大切な統一地方選を、ぜひ盛り上げたいと思います。


*和光市では避難者を総合福祉会館で受け入れています。これは、畳のある、風呂に入れる施設でお迎えしよう、という趣旨です。なお、避難所から、すでに市民から提供されたアパートに移り住まれた方もおられます。