書評 見城徹『異端者の快楽』
ツンドクになっていたもの。ここのところ、風呂、トイレ、電車に限って読んでいて、今日、久喜への往復で読了しました。
形式的な本の出来としては2点。単なる寄せ集めです。
編集技術的に???な本なのか、あえて編集者がこのように作り、それを見城氏が認めたのかは分かりません。
ただ、読後感は良く、「ああ、自分は十分に疾走していないな。反省しなければ」と強く感じさせられました。
この人の仕事師としての生きざまは魅力的です。
とにかく、「これは」という相手に熱狂し、その熱狂をつきつめ、相手にぶつけて口説き落とし、その相手と「内蔵同士をこすり合せ」て作品を仕上げ、緻密かつ大胆に売り込む。
実は、元々編集者だった私はここまで1点の商品に打ち込むリスクをとって仕事をすることはありませんでした。1点に入れ込むと、その人件費を取り戻すことはどんどんバクチになります。だからこそ、人はポートフォリオをつくって仕事をするのですが、この人のポートフォリオには「ローリスクローリターン」は無いようです。
ただ、現在、市政に関わる者として「和光市」にさらに熱狂しなければならない、とあらためて感じました。何しろ私は市政(あるいは地方自治)という1点において仕事をしているのですから。
さて、見城氏の仕事自慢の一つ一つには疑問を呈する声もあるようです。しかし、そのような人は一つ確かなことを見逃しています。それは、氏と同程度の熱狂と努力と工夫ができれば、人は一流になれるに違いないということです。そして、多くの批判者は見城氏に伍して仕事ができるだけの熱狂と努力をしていないのではないかと思います。
私自身、熱狂を高めなければと強く焦る気持ちになりました。
編集者を経験したからこそ、見城氏の熱狂に素直に学んで仕事をしていこうと強く思うのかもしれません。
政治家にこそ私はこの本か、あるいは『編集者という病』をお勧めしたいと思います。
ちなみに、本書で見城氏が連呼している「これほどの 努力を人は 運という」という言葉について調べてみて驚きました。
元ジャイアンツの張本選手の言葉なのですね。
心に沁みます。
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異端者の快楽