書評 浅野史郎『疾走 12年 アサノ知事の改革白書』(岩波書店) | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

書評 浅野史郎『疾走 12年 アサノ知事の改革白書』(岩波書店)

埼玉県知事選が近づき、知事というものについて改めて考えています。

県庁は中2階と言われ、存在感の希薄な組織です。(特に、和光市の場合、市民で県庁を意識する機会はほとんどありません。)

ただし、強力な権限を持つものの施策の種類ごとに権力が割れている霞ヶ関と比較して、権限が集中し、しかも大統領制で選ばれる知事というものの権力は強力です。

知事には自分を律する、強い意志と、合理的な機能する仕組みづくりへの絶え間ない努力が求められています。


さて、本書は例の浅野前宮城県知事が退任直後に自らつづった自己評価の書です。

第1章、最初に書かれているのは知事という椅子に関する思いというか感想です。特に印象に残ったのは知事という椅子の特権を意識し、このまま続けているとやめられなくなる、と感じたというくだり、そして、知事は12年もやれば陳腐化する、という辺りです。


第2章は組織スキャンダル、要するに県警裏金の話。宮城県警とのバトルが知事の目線でつづられています。

本書と新聞報道から感じるのは警察組織にはまだまだ治外法権的なところがあるんだな、ということです。そして、県警本部長と浅野氏のバトル。この辺りが「左」系の市民に評価されているんだろうな、と思ってました。しかし、正直、個人的には浅野氏の姿勢が及び腰に見えました。

議場で県警本部長とバトルするのは非常にいいのですが、結局進展しない。

市民オンブズマンの指摘により内部で調査を行い、誠実に対処しようとするものの、県警が協力しない理不尽さ。そして、完全に膿を出そうと頑張るのですが、県警は頑なに組織の論理の中に閉じこもります。

警察、教育この辺りは政治との距離感が大切なのですが、組織運営の合理化などはやはり政治が仕事をするしかなく、私には消化不良に見えました。もちろん、あれだけバトルを繰り広げて行ったという行動は評価に値するのですが・・・。


第3章は選挙の話。しがらみを作らないために組織の応援を断り、自発的な市民の応援で戦ってきた浅野氏の選挙の様子が生き生きと描かれています。

個人的に、都知事選で浅野さんが敗北したのは自らの意思ではなく、政党や一部の団体に担がれる形で出馬したから、と思っています。もちろん、石原さんとの知名度の差や、その他の政策的に要因もあったでしょうが・・・。(財政面での業績が評価できないのも要因でしょうね。)

とにかく、宮城での浅野さんは自らの意思、思いで動き、いろいろな勝手連がそれを支援するという形で戦っていたということをあらためて痛感しました。

選挙の方法としては理想に近いです。


第4章は議会との関係。「私には与党はありません」という名言を彼は吐いていますが、浅野氏はまさに、是々非々の議論を展開していきます。

私が納得したのは、議会は知事の批判が仕事。新聞は知事の悪口が仕事。どっちも知事をほめるようになったら彼らの存在意義がなくなる、というのが浅野氏の考え方。

悪口を嫌うどこかの誰かとは大違いです。

また、浅野氏は過去に策定され議会の議決を経た計画を白紙撤回したり、議会が修正したものについて再修正を提案するという再議権を行使したり・・・と言論の府である議会で活発な議論をしてきた経緯を生き生きと語っています。

議会人が本書を読むなら、ここは一番参考になる部分です。


第5章は楽天が仙台に来たときの話。話としては面白いのですが、ここは省きます。


第6章は「施設解体みやぎ宣言」。これは障碍者施設は永久に住む場ではないので障碍者には地域で暮らす訓練をしてもらい、いずれ地域で暮らせるようにしたい、という趣旨の、全国に大きな衝撃を与えた宣言だったのですが、それに至る経緯、宣言の真意などが語られます。

私はノーマライゼーションは目指すべき目標ではあると思いますが、それでもやはり、この宣言には衝撃を受けました。多分、施設にお子さんを預ける親御さんが最も驚愕したと思います。

「不可能だ」という反応が多かった中、この宣言は浅野知事の退任とともに見直されました。

本書を読むに、浅野氏の考え方は「ノーマライゼーションを目指す」という緩やかなものだったようなのですが、それにしては過激な内容で、だからこそ宣言は見直されてしまったのだと思います。

これは私は浅野氏の大きな目算違いだったと見ています。


第7章は分権についての意見。

国庫補助金の問題点、知事会会長選挙の裏話などが中心です。


第8章は再び県警とのやりとりの話。未解明になっている部分と論点がよく分かります。


浅野氏は改革は知事の代表格の1人であり、情報は公開する、表で話をする、現場を知る、など、方向性としてはあるべき姿を追求した人物だったと思います。

ただし、彼がいなくなると、宮城県はまた振り出し近くまで戻ってしまった気がします。

本書を読んでそれを再認識させられました。やはり、退任後も簡単には時価の針を戻せないしくみ、仕掛けを作ってから去って欲しかったですね。

首長は任期中に責任を持つべきなのは当然ですが、終わった後も容易に覆されない制度インフラを構築すべきである、そう私は思っています。

また、原則を曲げない強い意思というものが他の多くの知事よりはあったものの、不十分だったのかもしれません。

(ちなみに、本書とは関係ありませんか浅野氏の財政的な手腕については私はマイナス評価です。教育についても見るべきものは特に見当たりません。)

本書は地方自治に関係する政治家にぜひ、お読みいただきたいと思います。私も得るものがたくさんありました。


さてさて、翻って埼玉県の上田知事はどうか、少なくとも1期目は大きかった期待に十分には応えていません。

2期目、議会と裏取引をせず、表で話し合い、情報公開を徹底する、その他、大切なことを表で決める、そして、財政面、借金を増やさないこと。さらには、県南の自治体を富裕団体と決め付けてターゲットにするのをやめること、こんなことを期待したいと思います。


『疾走 12年 アサノ知事の改革白書』