湊川神社に行ってきました | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

湊川神社に行ってきました

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神戸出張の折に湊川神社に行ってきました。ここは、楠正成公をまつった神社です。

楠正成公は私が敬愛する歴史的人物の筆頭格です。

河内国赤坂村生まれ。いわずと知れた鎌倉末期から南北朝時代にかけての英雄です。

前半生は不明ながら歴史の舞台に現れたときには、河内を中心とした流通業者として活躍した、いわゆる「悪党」でした。
後醍醐天皇の挙兵とともに下赤坂城にて挙兵。後醍醐天皇が隠岐に流されてのちも千早城に篭城、10万を超えるといわれた幕府の大軍相手にゲリラ的手法で奮戦しました。その後、正成の戦いに多くの武将が触発され、各地で挙兵しました。最終的には足利尊氏の挙兵がきっかけとなり、鎌倉幕府は滅びました。 正成は経済の発達という時流に乗って成長し、歴史の歯車を動かした男なのです。ベンチャー精神を感じませんか。
後醍醐天皇の建武の新政が始まると、正成は河内・和泉の守護となりました。その後、建武の新政が後醍醐天皇の無能による失政の連続であったため人心が朝廷から離反し、当初から隙をうかがっていた足利尊氏が離反、後醍醐天皇と尊氏との抗争の時代が始まります。
1336年、正成は九州から反攻してきた尊氏を迎え撃つべく絶望的な出陣します。結局、湊川の戦いで味方の数十倍という足利軍と戦い敗れて、弟の楠木正季と刺し違えることになりました。その最後の出陣は不可解かつ謎に満ちており、それが正成の魅力を高めています。

正成はゲリラ戦で天才的な手腕を発揮したこと、最後まで南朝方につき、命をささげたことから水戸学派、旧軍に崇拝されました。 戦前はまさに、神とあがめられた人物です。もっとも、今はすっかり忘れ去られていますが。
正成をまつる湊川神社は明治政府により建立されたため、靖国の源流とも言われています。
湊川神社は地元では楠公さんと呼ばれて親しまれている神社です。


神社暮色