小千谷市の担当者に新潟震災の体験を聞く | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

小千谷市の担当者に新潟震災の体験を聞く

今日は朝霞地区(和光、志木、新座、朝霞)議員会の研修会でした。

講師は小千谷市消防団副団長の金子正男氏、小千谷市消防指令の野沢弘明氏、タイトルは「新潟県中越自身に学ぶ」。

 

まずは金子正男さんの講演。

この方、声が大きく、新潟弁での熱弁で親しみやすい感じでした。

サラリーマンとして、消防団幹部として多忙の中、震災以来、60もの団体の研修などをこなしてこられたということで、話はいたってわかりやすかったです。

 

1.中越地震の特徴

阪神淡路の2~3倍の加速度で、二階部分がそっくり飛んでしまったケースが多かった

震度5弱以上の余震が連続して起きた(何と18回)

火災がほとんどなかった(市内で一軒のみ。薪ストーブの家。~都市ガスがマイコン制御で即刻遮断されたのが大きな要因)

ちなみに、もう一つ大切なのはブレーカーを切って家を出ること(漏電で火事になるリスクがある)。これは阪神淡路の教訓を生かした。通電のときも市を数区画に分け、徹底的に広報し、あるいは自らブレーカーを切りに入った。

 

震度6強とは・・・・・ある人が風呂に入っていたとき地震が来て、終わったら湯船のお湯がほとんどなくなっていた。

瓦の家は9割方倒壊。残った家も瓦はやめた。(瓦は重い。普通の家で6~7トン)

 

震災の数ヶ月前に訓練はしてあったが、やはり本番ではなかなかうまくいかなかった。

 

2.当時の経緯

今回、地震の直前、消防団の本部員10人で酒を飲んでいたが、地震があり、歩いて本部に行った。→30分後には本部立ち上げ。

地震直後から本部に電話がひっきりなしにかかってきた。しかし、全部にかかわるのではなく、生命にかかわるものだけを優先した。(結果的にこれが正解)

・救助のケース1

4人が埋まっている現場に呼ばれ、余震のリスクを避けるため、上からヘリで照らしてもらい、チェーンソーで建物を切って子供3人は助けたものの、おばあさんが見つからず。結局、見つけたときは仏壇の前で亡くなっていた。

・救助のケース2

旅館で3人が取り残された。→がけ崩れで近寄れず、獣道をたどって行った。→行ってびっくり妊婦さんが・・・・→引き返して10人で再度行き、担架で運んだ。→数ヵ月後出産。→母の感謝の言葉「息子は消防団に入れます」

・救助のケース3

朝方、若い女性が「集落を助けてください」と駆け込んだ→「男性は何をやっている?」「村を守っています」→酸素ボンベが欲しい→10人の隊を組んで出発→直後に土石流の懸念=心配→19時に無事帰還→「どうだったか」と隊長にたずねると「周囲見る余裕はなく、隊員の安全確保が精一杯でした」→大災害とはそんなもの

 

3.大災害の特徴

大災害では災害弱者がどうしても犠牲になる

小千谷市では死者5人。内訳は老人2人、子供(小学生)3人。

 

大災害では、行政にも消防にも限界がある。基本的に自分でできることは自分で。

つまり、自主防災組織が大切。いま、小千谷では自主防災組織がどんどん立ち上がりつつあり、組織率が上がっている。

 

4.消防団がやったことのうち、トピックをいくつか・・・

交通整理→トラブルが多く途中で止めた

夜警の重要性→ボランティア2~3万人が来たが、泥棒も来た(避難所が目当て。「おばあちゃん手伝おうか」といいつつ入って、おばあちゃんが気付けば・・・・)市内で逮捕は3人(全国指名手配犯1人、現行犯2人)

とにかく、こうして直後に電話が自宅とつながった以外は仕事ばかりで、2週間家に一切帰らずに、風呂なしでがんばった。

家に帰る頃には自分が臭くて臭くて・・・・。

帰ると、奥さんが機嫌よく「がんばったね」。地域の人が家族を支えてくれていた!家族だけでは無理。長くなるほど、地域の力が大切。→後でお礼周り。

 

5.危機管理の視点で・・・・

市内の病院は重症患者を扱えなかった(設備が崩壊)。特に手術関連がダメだった。

耐震性のある建物は老健センターのみ(免震のため、無傷)

 

・乏しい危機意識

丘の下にある集落、上に亀裂を発見したが→団員「避難してください」住民「避難勧告は出ているのか」団員「今申請中です。手続きに時間がかかるから、とにかく早く避難を」→住民が10メートルほど離れてテント→説得して100メートルはなれてもらった。

 

・見切り発車で助かった

今回、県の指揮を待たずに出動してくれた組織があった。

 

6.震災のリスクについて

既に、地震はもうあと40年は来ない、ということを言う人がいるが別の断層がまだある。30年前、今回の地震についても学者の予測があった。しかし、忘れていた頃に地震が来た。→人というものは月日がたつと危機意識が薄れる。

 

消防団員の手当て総額2500万円は一部の反対を押し切って返上したが、新聞に取り上げられ、感動した一方で冷や汗をかいた。

 

7.地震雲などの予兆は

前兆は?

一応、地震雲らしきものはあった

ある建物のタイルがめくれ上がった、がどちらも誰も気にしなかった。

 

地盤と被害の関係~一応、今回は岩盤の地域には被害はなかったが、保証はない。

 

 

次いで、野沢弘明氏の話とスライド。

 

8.消防団、情報伝達等について

消防団は定員810人。しかし、高齢化で人手不足。787人しかいない。

当初川口町の報道が少なかった理由→幹線道路の分断、役場の建物の安全性確認にも時間がかかった。

 

電話のつながり→数日後の夜中から徐々に良くなった。メールは時間はかかっても、かなりの確率で届いた

 

3回の震度6弱以上が続いたが、一回目で脱出した人はほとんど怪我もなし。その後、余震で建物が倒壊し、怪我というケースが多かった。

 

9.大きな被害があった地域の特徴

大きな被害があったのは、不自然な開発のなされた地域。

つまり、

切土、盛土はダメ。自分の土地の来歴は知っておくべき。

また、道路は切土盛土が多く、各所で寸断。

 

10.その他

エコノミーシート症候群はマスコミ報道と、積極的な報道でほとんど回避。消防団もクルマに泊まっていた人々に体操してはいかがか、と声をかけた。

しかし、そのときの後遺症でまだ血栓があるケースが多く、小千谷市民は無料検査。

 

トイレは大変→汲み取っても汲み取ってもとにかくたまる。また、処理場も壊れたので近隣に行くが時間がかかる。(いつになったら汲み取ってくれるのかという苦情あり)

 

大災害時使える水利は→自然水利、防火水槽(しかし、地震に強い、検定品でもつぶれたケースあり)

 

大変だったのは

マスコミ対応、

ボランティアへの対応(社協)

どれが本物のボランティアか不明。

今後ボランティアに行くなら、「食べ物を確保し、寝泊りも確保してから来て欲しい」。

 

最後に、大災害とは何でもあり、ととらえるべき。

軽トラで細い道から無人になった集落に行き、荷台一杯分盗んでいったケースもあったという・・・・。

(こういう話を知っておくことは意外に大切ですね。)

 

 

教訓

今回の講演ではとにかく、自主防災の大切さを感じました。大災害では行政を当てにばかりはしていられない、これを肝に銘じておきます。

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