震災ボランティアで昨年、新潟を訪れたことを思い出しています
ふとしたきっかけで一年前を思い出しています。
市内の方には、チラシに書いた内容と重なるので「またか」の話なのですが、昨年11月11日に川口町(いまは合併してなくなった)という、震度7を記録した地域にボランティアに行ってきました。菅原満議員のお誘いです。
視察だけでは本質が分からないし、見物に行くようで申し訳ない、そして何より、ボランティアに行って少しでも現地の人々の経験や痛みを共有し、いずれ来るかもしれない首都圏震災に備えたい、という思いで出発したのを覚えています。
そこで驚いたのは阪神大震災とは打って変わったボランティア団体の手際の良さでした。
もう、システムができていて、人も物資もどんどんさばきます。
本部もテント内は整然と物事が進んでおり、すべてはコンピュータ管理。
もちろん、それでも作業は地道な仕事です。
私がやったのは落下した瓦の袋詰め。詰めたら重機で搬出します。
とにかく一日瓦を運びました。
そして、仕事後の報告書提出まで、すべてがシステム化されていたことも印象的でした。
とにかく一日夢中で作業し、一緒に作業した某自治体役場の皆さんに別れを告げて帰ってきました。阪神大震災のときも感じたのですが、数十キロも離れると別世界、日常があります。それが本当に不思議でしたね。そして、テレビでは痛みは伝わりません。
ボランティアの組織化マニュアルなど、必要なノウハウは市で持っておくべきだと痛感しましたが、なかなか実現への道は遠いです。
追記:ちなみに、弁当持参でした。ボランティアの基本は自分のことは自分でやれる準備をしていくということ。現地でもそれが浸透している様子でした。