本質を外した公開討論は不毛
①公開討論を見て感心なんかしちゃいけないですよ
今、党首討論をテレビで見ていてあらためて「公開討論は不毛だ」と思いました。
議論は前提をそろえて緻密に行うべきだと思うのですが、公開討論は時間の制約があるため、ただの言い合いに終始します。
そして、それでもテレビの場合、発言内容はしっかり分析されるのですが、国政選挙も含めて普通の公開討論では、その場ででまかせを言っても基本的に誰も気づきません。
言ったもの勝ちになるリスクは限りなく大きいです。
とにかく、日本人は議論の訓練を受けていませんから、議論を短時間にまともに行うこと自体が恐ろしく困難です。
②議会にもその場をごまかして突き進む嘘つきがいる
話は少し違いますが、議会でもその場で嘘をついてそのまま言い抜けるケースが多いです。特に委員会の議論ではそのパターンが多いです。
③公開討論の本質が分かっているのか
公開討論の本質的な問題を理解せずに、多くの団体が公開討論を仕掛けています。オープンな議論には私は賛成なんですが、公開討論が良いとは決していえないのです。
アメリカのテレビ討論は、このテレビ討論重視はもっと困った方向に行く可能性が高いことに気づかせてくれます。テレビ討論用の単純化した主張の繰り返し、そして、さらに演出の行き届いた劇場政治。
いいことなんかないです。
それでもテレビ社会ですから、テレビ討論はますます重視されるでしょう。せめてやってほしいのは、その場での嘘とかごまかしをしっかりとその場でチェックするということです。
現状を見ていると、厚かましい人と嘘つきの勝ちになってしまう気がするのです。
そして生き残るのは面の皮が厚い連中のみ、ということです。
④実は大きな方向性の提示の方がかみ合わない政策論争より大切
結局、政党が大きな方向性を示すことが、二大政党の世の中では必要だと思います。そして、その大枠を守ること。
筑紫哲也氏なんかは思考停止の代表なんですが、彼は政策Aに賛成でも政策Bに反対の人がいる、とか恐ろしく間抜けなことを党首たちに問いかけていました。
愚かですよね。自分と全部が一致する政治家なんて探せないのは当然じゃないですか。その中でより自分に近い人と政党を選ぶしかないんです。
むしろ、テレビの人間は、大きな方向性を各党首から引き出して、しっかりと言質を取ってもらわないとダメですよ。
大切なのは大きな方向性の提示とそれを守ること。