「選ばれる街」の勘違い~未来の住民に選ばれるより今住んでいる人に満足を(タイトル変更)
①都市間競争(選ばれる街づくり)を強調することが流行っている
最近、都市間競争を強調しすぎる論調が多くて当惑します。私自身、選ばれる街であるべきと思っています。ただ、市の目指すべきものは何かというと、いわゆる都市間競争の強調では見失う視点があると思うのです。
和光市は今のところ、地理的位置の優位性、交通網の充実などから、都市間競争の勝ち組みと言われています。しかし、住民の満足度が極端に高いわけではありません。住民はその街に移り住んでからその街について知る傾向があります。住む前のイメージとその後ではかなり乖離があるのではないでしょうか。都市間競争論がイマイチピンと来ない理由の一つはそれではないか、と私は感じます。
②都市間競争の原点はティーボー仮説
都市は何を競争しているのか、選ばれるということはどういうことなのか、ちょっと考えてみました。
都市間競争という言葉の原点は「ティーボー仮説」の「足による投票」に由来するようです。これは、人は自分が満足する条件を求めて移動するという仮説(説明としてはかなり荒っぽいのですが)です。施策の良さで競争するにしても、都市のイメージを変えるにはかなりの年月の蓄積が必要です。また、特定の施策が充実していてそのために移住する人と言うのは特に日本では首都圏以外は限られていると思います。もちろん、首都圏でも移動はなかなか困難な場合が多いです。
③どう競争するのか、どう勝ち残るのか
最近のいろいろな市長選挙で市長候補がしばしば「選ばれる◎◎市」を叫びますが、どう競争し、どう勝ち残るのかと言う視座を提供している例はほとんど見ません。まあ、流行に乗っているだけに見えます。都市間競争を強調するということは簡単でも、政策につなげて結構難しいことだと感じています。
人口が減る中で、人をひきつけることが大切なのは事実ですが、それで十分なのかという違うと思います。
④実は、今の住民の満足度を高めることが大切なのではないか
次に、足による投票が日本になじむかと言う問題もあります。アメリカでは、階層ごとの住み分けが進んでおり、足による投票は実効性のある理論です。しかし、地縁の制約が強い日本ではそうはいきません。社宅や公務員住宅に住む人も多く、住む場所を選べる人が意外に少ないということも事実です。
自治体の施策はベースとしてはあまりかわらず、また住民はそれほど自由に移動できるわけではない、となると、選ばれる市であることより現在の住民を満足させる方がいいのでは、と感じます。
都市ランキングの類を見て多くの人が不満に思ったり当惑するのは、「住民は自分の住んでいる地域に不満と愛着がある」からです。
⑤派手な施策より、着実な改革、そして方向性の明確化
私は都市間競争の肝は今住んでいる人の満足にあると思います。派手な施策で有名になるのもいいのですが、実際に住んでいる人の満足に繋がらないなら、意味はないと思うのです。その蓄積が、選ばれる町としてのブランドの蓄積に繋がると思います。そして、町の方向が明確になれば、おのずと重点的な施策は決まっていきます。
その意味で、自治体のブランド形成・管理という私の立候補以来の課題は正しいと思っています。自治体の方向性を決め、微調整しながら改善していく、その積み重ねが肝要です。
方向性の決定、満足度の調査、施策の実行、定期的な調査、方向性の微調整・・・・とプロセスは続きます。
⑥和光市の場合~急速な高齢化に今のうちから備えよ
和光市はどういう方向性が望ましいのでしょうか。
人口減(少なくとも横ばい)、都心回帰の時代は続きますが、和光市の地理的位置の優位性は今後も続きます。何かをぶち上げて人をひきつけるのではなく、生活環境を快適にしていくことで、少しずつ人々の満足を得ていくのが基本的な方向性だと思います。
総論として、行政には(インフラをはじめとする)弱点の着実な解消と、財政力の基盤強化・高コスト体質からの脱却が求められます。つまらない話になりますが、これに尽きると思います。また、都市の方向性としては住宅都市しかないと思います。都心から近く、しかし緑の多い、ゆとりの住宅都市。現実は違いますが(狭小な道路インフラ、第一種住専地域がないこと、など)。
また、インフラの取捨選択もテーマですが、基準が必要です。私は以下のように考えます。
和光市は現在、労働人口、子育て人口が全国平均を上回る「若い街」として税収もまずまずです。しかし、前期高齢者や団塊の世代を大量に抱えています。恐らく、史上まれに見る急速な高齢化が和光市を襲います。
であるならば、今のうちからそれに備えておく必要があるのはご理解いただけると思います。現在改訂が進行中の後期計画は、そのあたりの備えが薄いと思います。多くの子供を抱える「今」に目が行ってしまっているのです。
たとえば、小中学校の新設が厳しいため、増築で対処するとしていますが、子供が減り始める頃には後期高齢者が多くなる、という事実は今から分かるわけですから、転用を踏まえた設計で学校を新設することは合理性のある選択の一つです。
もちろん、地主さんの説得にもこの理屈は使えます。「○○さんも関係あるのですよ」という話です。その次の計画の時期には、皆さん意識しているとは思いますが。
これは一例です。
とにかく、今いる人々の満足なくして満足な都市はありえない、と強調しておきます。