祖父が亡くなって感じた、大家族的な子育ての大切さ~家族・地域の解体から、再構築へ | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

祖父が亡くなって感じた、大家族的な子育ての大切さ~家族・地域の解体から、再構築へ

①前置き

読売新聞が「長男の嫁」という特集記事をやっていました。

全体を覆うのは家の解体を叫び続けた戦後の風潮であり、読む前と読んだ後で気持ちの誤差の少ない記事でした。

もちろん、非人道的な嫁いじめとかは×ですが、先のビジョンを示せないままに核家族化を煽ってきた戦後そのままの論調に「所詮読売も朝日や岩波と大差ないな」と感じさせられました(素朴に、記者の年齢を知りたいと思いました)。

いま、役所は家族や地域社会の解体で外部化されたコストにあえいでいます。急いで日本社会を解体して知らん振りの連中に「責任取れ~」と叫びたいですね。

まあ、謝ってもらっても仕方がないのですが。

読売の記事でも、家制度の代替案については必要、と言う認識です。ただ、方向性すら示していないので、私なりの考えをとりとめもなく書いてみたいと思います。


②現状認識

いま、地域づくりとか、子育て支援とか言われていますが、基本としているのは核家族だったり父子家庭、母子家庭だったりします。それを一概に否定するわけではないですが、核家族などの2世代だけの家族は子育てで大きなハンデを背負っている思います。

私は祖父母と同居していたわけではないのですが、ごく近所に祖父母がいたため、常に祖父母との付き合いがありました。また、私の子供も私の家内の両親と密接に係わりあって育っています。また、私の祖父母ともかなり遊んだりしていました。


③本論

先日、私の祖父が亡くなりました。もう寿命で、老衰だったのですが、子供たちはこの間まで一緒に遊んでもらった「ひいじいちやん」が冷たくなってしまった様子を肌で感じ、死について考えていました


最近、命の大切さとかへの理解の薄い若者の違和感のある犯罪をよくニュースで見ますが、核家族化も原因なのかな、と思います。死とか老いとかが昔の大家族では身近でしたね。私は相撲の相手をしてもらったこともある曾祖母が亡くなったとき、本当に曾祖母の温かみ、手の感触を覚えていただけに悲しかったことを覚えています。


そうそう、自由主義の基本は相手の自由を認めること、というのが私の決まり文句なのですが、大家族のストレスは、これをしっかり学ばせてくれるともいます。まあ、辛い場面、立場も多いわけですが。


④結論みたいなもの

大家族に戻せと断言はできませんが、現代の日本社会の問題に直面して思うに、家族を大切にするとか、その延長で地域や国や環境を大切にするとか、あるいは他人の自由を踏みにじることに不感症な個人主義の行き過ぎはまずいとか、そういう程度のことの必要性ははっきりしている思います。

家族、地域社会は消し去るべきものと言うより、再構築すべきものなのだと思いますが、いかがですか。