くさい物にふた、では問題は解決しない。騒音主婦も、アジア外交も・・・・・。
①「くさい物にふた」の末路
奈良の騒音主婦が逮捕され、しばらくテレビは「ひーっこし、ひーっこし」という場面をいやというほど流しました。いきさつを調べていると、警察などが早期に断固たる処置をしなかったことが大きな原因の一つではないかと感じています。
また、中国や韓国との付き合いにおいて、これまで腫れ物に触るように扱い、ロシアとは行ってきたまともな交渉を避けてきました。その間に問題の種はここまで大きく膨れ上がっていたのです。
「くさい物にふた」、それは日本人の好む対処法なのですが、これは体の良い放置です。
そして、問題は大きくなり続けます。
②「相手もいずれわかるだろう」では何も解決しない
相手もいずれわかるだろう、という考えは、トラブル解決では有効に機能しないのでしょうね。
そもそも、交通事故などの不可避なトラブルでも相手次第で本当に頭の痛い問題に膨れ上がります。
大きな争いごとになってしまうと、大人の解決などありえないのだ、ということを最近感じます。
やみ金融は金を借りている人の職場に押しかけて圧力をかけたりしますが、「くさい物にふた」という対応をしていると、事態はいい方向には行きません。相手はわざとやっているのですから。
③そもそも世間には「敵意」「悪意」があふれている
よくよく考えると、もともと何もトラブルがないのに因縁をつけたり、けんかを吹っかける人種がいます。
そこにあるのは常識とかそういうものではなくて、「敵意」「悪意」です。
ただ、そういう現実を人はなかなか正面からは見られません。
④守る気のない人に対する、法、法律の抑止効果の無力
法や法律は裁判所の判断基準である以前に、人々がトラブルを避けるために必要な判断基準でもあります。法や法律の欠点は、法律には従うべきであると思っていない人や、法律を欺いてうまくやってやろうという人には抑止効果が乏しいということです。
⑤結局正面から解決するしかない
くさい物にふた、それは往々にしてトラブルを大きくします。
私も仕事柄、トラブル続きですが、正面から付き合うことが大切なのだと最近思います。
そして、正面から向き合うことで、世の中は変わるのでしょうね。
年金や社会保障、憲法の問題など、すべてが。