「憲法を変えるな、教育基本法を変えるな」という神格化がもたらした法律の官僚支配 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

「憲法を変えるな、教育基本法を変えるな」という神格化がもたらした法律の官僚支配

◎衆議院憲法調査会報道で抜け落ちている「改正そのものの是非」

憲法調査会の結果を受けて、いろいろな報道が続いています。

憲法の内容についてはいろいろな議論が飛び交っていますが、改正そのものの是非についてはっきりと国民に方向性を示す報道はない気がします。

憲法そのものが不可侵なものなのか、そうでないのか、これからはっきりさせ、取り合えず、いわゆる「絶対的な護憲」という思想の是非に決着をつけるべきです。

多分、「何が何でも憲法改正反対」の支持者はほとんどいないと思います。

◎まず注目すべきなのは、「法を変えるな、変える検討もするな」の不見識について

最近ようやく、「護憲」という言葉が下火になりました。しかし、まだまだ憲法や教育基本法の改正を検討することにすら徹底的に反発する勢力が跋扈しています。

この人々が法律の官僚支配を許してきました。日本の法律は官僚によって完全にコントロールされています。分かりにくい法体系、改正でなく解釈を重視することによる規則の不透明化、政治家と法律改正実務の遠すぎる距離、大学などの法律教育機関での解釈偏重の教育体制など、日本の法律にまつわるすべては官僚がすべてをコントロールするための道具立てになっています。

◎タブーだった憲法改正

戦後、憲法や教育基本法の改正は議論すること自体、タブーに近いものでした。この憲法の神聖化がどのような経緯で行われたのかはここでは触れませんが、日本国憲法を作ったアメリカは、日本の「牙」を抜くためにいろいろな安全装置を憲法に仕組みました。改正が容易ではないことはその安全装置の一つです。

正直なところ、憲法の文章は十分に整理されていないし、時間が経過してなお変える必要がない、というほどのものでもありません(教育基本法も時代の要請で変えてもいいところがあります)。

また、憲法といえども時代の要請で変わってもなんら問題はありません。

ところが、日本では憲法は神聖で犯さざるべきものとされ、修正の方法すら決まっていません。いや、修正の方法について語ることすらできなかったのです。これは、客観的に見て異常といえます。

憲法を絶対に変えるなという主張は普通ではなく、非常識だということを日本人は認識すべきです。

◎法は時代を映す鏡

法は時代を映す鏡です。たとえば、中学校の多くの教科書が否定的に扱う大日本帝国憲法ですが、当時としてはそれほど後進的なものではありませんでした。また、当時の日本や周囲の情勢も考慮すべきです。市民社会の成長には段階というものがあるのです。また、いずれ述べたいと思いますが、立憲制を基礎とした日本の近代化と天皇制、大日本帝国憲法は、不可分の関係にあったという説もあります。何より、歴史的事実を現在の感覚で裁くことの愚かさは、ご理解いただけると思います。

法とは、その時代の社会の裁判官の判断基準であり、市民の行動基準でもあります。

時代が変われば、法は変わるものです。

◎「法津を変えないこと」から生まれる害毒は官僚至上主義

法律は時代が変わると適宜改正され、変化しますが、日本ではこの手続きが基本的に官僚に独占されてきました。法学部では法律の解釈しか学びません。また、学者も基本的には審議会に入るような学者以外は解釈の研究をしています。法改正のノウハウを持ち、教育機関を持つのは官庁だけです。

こうなってしまった原因の一つとして、憲法や教育基本法の神格化があります。

法律を変えないなら、時代に対応する手続きは解釈、ということになります。また、複雑な判例や学説が生まれ、行政解釈などと絡み合って、法律は分かりにくい、複雑な国民からは遠いものになります。

そうなると、国民は法律への関心を失い、それにともない、政治家も法律からは隔離されていきます。

法律は官僚を中心に、学者、裁判官、弁護士などの専門家の独占物となるのです。

法律を変えさせないから複雑な解釈が跋扈するのです。日本国憲法の親戚であるアメリカ合衆国憲法は10回以上の修正を経ています。また、同じく英米法の流れを汲む諸国の憲法もしばしば改正されています。

日本だけが異常、そう判断できると思います。

その結果、法律の改正は役所主導がほとんどです。そして、官僚は選挙では選べないのです。

◎法を取り戻すには?

本来、法は裁判官の判断基準である以上に市民の行動規範であり、市民が理解しやすいシンプルなものである必要があります。それを実現するためには、法律は解釈中心ではなく改正中心でいく必要があります。また、改正は役所主導ではなく政治主導である必要があります。

そのためにはまず、法律は変わりうるものである、という国民意識の醸成が必要です。そして、法律は最低限のものとし、シンプルに、という思考が必要です。

規制をかけ、問題を複雑にするのが得意な役所が日本社会のコストを引き上げています。

◎社会主義、共産主義、社会民主主義との決別こそが自由社会のキー

日本は自由主義の国です。憲法に書いてあります。皆さんも自由主義を望んでいると思います。

社会主義や共産主義は大きな政府を望む思想であり、役所が肥大化します。

そして、社会民主主義は規制で人や企業をがんじがらめにします。

「憲法を変えるな、教育基本法を変えるな」という神格化はその側面支援をしてきた思想です。

人間は自由を求める生き物です。一時、それが行き過ぎて、ゆり戻しとしての左翼思想がでてきました。

現在、人は冷静に行き過ぎない範囲で自由を満喫するすべを身につけつつあります。

法律は変わるものであり、役割を果たしたら基本的な法規以外はなくすべきでもあります。

それを嫌う官僚の支配を乗り越えてこそ、自由が見えてきます。