こちらは、山田谷川の石矼から

北東へ進んだ丘陵地の中腹にあります。

 

途中の分岐点では

足元に大きなガマ(洞窟)があり、

突然、そこから勢いのある風

吹き上がってきたので、

毛が立つほど驚いてしまいました。

 

なかなか迫力のある波動が流れるエリアです。

まるで不動明王様のような威圧感を感じますね。

 

こちらの丘陵地は、

「琉球国由来記」(1713)によると、

『オシアゲ森』(神名:サケノイベヅカサ)

という御嶽の森と記されているそうです。

 

この中腹にある鍾乳洞の中に、

「久良波大主(くらはうふぬし)の墓」があります。

 

ここ「山田グスク」がある土地一帯は、

古くは「古読谷山」と呼ばれ、

陸側の山田村海岸側の久良波村

2つの村から成り立っていたそうです。

 

「大主」とは、

「按司」の次に身分が高い有力者

名づけられる呼称なので、

この墓久良波村出身の副官クラスの方々

葬られた古墓のようです。

 

つまり、山田按司の家臣にあたる方々

ということなのでしょう。

 

いずれにせよ、山田按司と家臣たち

伊覇(伊波)按司の子孫なので、

今帰仁王子系統といえます。

 

そのため、「今帰仁」に向かって

各所に遥拝所を設置し、

ルーツを忘れない工夫を凝らしていたのでしょう。

 

「己のルーツを忘れない想い」

を持ち続けるなんて、

かっこよすぎて感動してしまいます。

 

これこそ【琉球の武士道】ですね。

 

最後に気づいたのですが、

ヒゲの生えた男性の岩を見つけました。

 

往年の名優、チャールズ・ブロンソン似の

しぶい感じの男性です。(ちと古いか...)

 

おそらく、久良波大主はこのような

いで立ちの忠臣だったのでしょうね。