アメリカ人のテニスプレーヤーと話していて(同じ職業仲間でもある)、
日本人は練習が好きだねえ(だから勝てない)、
ラリーが30回続くとか、無意味で要らんし、
試合してその分強くなるんだよ、
テニスって、「強打して」、弱く返ってきたボールを、「さらに強打して」、エースを決めるのが、That's tennis !
ポイントを決めたいときは、ためてためてコースを隠して、クロスと見せかけて最後にコースを変えるんだよ。
あはははは。と爆笑した。
そうそう。だから、私は外国ではたまに勝てるのだ。
私と同じテニスだから。
そして、テニスがもっともっと好きになるのだ。
「テニスオフにおいでよ、試合しかしないシングルテニスもあるから。
負けたらレッスンを取るんじゃなくて、負けたらまた「試合」!だよ」
話を聞きながら、私もすっきりした。
みんないっしょじゃなくていいじゃない、なんで、他人と違ったら「批判してる」って批判されるんだろう。
レッスンは嫌い。それでいいじゃない。
強打してこそ自分のテニス。そのテニスを貫けばいい。
私は元々試合志向は無かった。
「試合に出なきゃ」と、周りがあまりに言うので、2023年は試合に出た。
テニス仲間の世界は広がったけれど、打てなくなった。
試合で出会ったプレーヤーたちは、みんな口をそろえて、「あなたのテニスをずっと続けて。経験を積めば結果も伴ってくるから。決してプレースタイルは変えないで」と言った。
それでも、「ミスを減らそう」とか「ゆっくり打とう」とか、自分を否定するような思考パターンになっていた。
それが試合の恐ろしさ。
友人のような「ブレない」メンタルならいいけれど、日本人の私は周りに同調してしまう。
日本は狭い。
狭いから異質な考えを排除しようとする。
高齢の女性で中高大学テニス経験が無いとなると、「打って打って決めに行こう」というテニスは居場所が無い。
スライスはいや、羽子板サーブはいや、ロブもドロップもいや、
それでいいって言ってくれるコーチはいないものか。