三島由紀夫は、
深夜0時から朝の6時までを
執筆時間とした。

これは賢明である。
誰にも邪魔されないからだ。

夕刻は、出版社の人たちと飲む。
これは、作家という職業柄、重要なことだ。

意外なことに、
三島が飲んでいた店は、
ロシア文学で有名な「どん底」である。

つまり、三島はすでに右翼・左翼などというものから、
超越していたのである。

ウイスキーボンボンを
食べながら執筆している。

適度な糖分。
適度なアルコール。
執筆者として、重要なことである。

師匠の川端康成は、
ノーベル文学賞を取った時、
その第一声が、
「三島君のおかげである」であった。

弟子に向かってそういったのだ。
一度、三島由紀夫の生原稿を
見るとよいと思う。

中学生の時点で、
あまりにも美しい書体。
あまりにも美しい文体。
そんな男がいた。

私が中学生の頃読んでいた小説は、
埴谷雄高の『死霊』である。

たった10日間の話を、
30年かけて書いた。
でも、2日目の朝の話しかない。

彼は、隅田川や神田川を歩きながら、
ずっと考えていた。
中野の刑務所に入った時も、
ずっと考えていた。

頭蓋のシンフォニー。
それが『死霊』である。
人間は思考が出来れば、
何時だって生きていける。

それが僕の中学校一年生の夏でした。

三島と埴谷は思想も生き方も違う。
ただ、僕には二人には相通じるものがあったと思う。

ウイスキーボンボンの好きな三島と、
台湾製糖に勤めていた埴谷の
二人に通じる天才性を。

二人の共時性は、
意外とスイートだったのではないか、
と思う今日この頃です。

つまり、右も左もないのです。
それらを超克する、超翼でありたいと私は思う。

右でも左でもない。

竹内睦泰は右翼でも左翼でもありません。
超翼派を、宣言します!

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2018年