★3年前の思い出

今日は本能寺の変!織田信長死亡。
6・2は織田信長が本能寺において
明智光秀に討たれた日です。
6.1に愛宕山で参籠していた。
連歌の会で主要人物の状況確認である。
誰が、今、どこにいるか。
そして6.2の朝に動く。
「敵は本能寺にあり!」
明智光秀謀反。
信長は
「是非もなし!」
(いいか悪いかはない。やむを得ない)
光秀は信長の近衛軍団長でありであり、
近畿管領と言える男。
逃げようがない。
本能寺を移転させたが、光秀なら
抜け穴の位置も知っている。
「是非もなし」だ。
黒人の弥助や森蘭丸が奮戦するも、
信長は火炎のもとに消えた。
享年49歳。
「人間五十年、下天のうちにくらぶれば、
夢幻の如くなり」(謡曲・敦盛)。
息子・信忠は二条城にこもったが、
戦死。
隣の近衛関白亭から火矢を射かけられた。
この暗殺は明智と公家の共同謀議が
あったといわれる所以である。
魔王・織田信長が死んだ日である。
この件については口伝もあるので、
いずれ著作にする。
京都の愛宕神社には京都の公卿・竹内家に
逗留していた親戚の竹内久盛(竹内流柔術開祖)
もよく、参籠していた。勝負の神様である。
今度の6月5日はそこから江戸に勧請された
東京の愛宕神社にバスツアーで向かう。
みな何を思うのだろうか。
ぼくはただ沈黙の祈りをささげるのみ。