祈ることは、積み重なっていくうちに、願いが叶うパワーになっていきます。
ただ、祈り方にはコツがあります。
その祈りが、より多くの人を幸せにすることに繋がっていれば、祈りそのものが徳を積む行動に繋がっていきます。
その逆に、自分だけが良ければいいという願いに根差した祈りならば、徳の貯金を浪費する行動に繋がっていきます。
エゴか、愛か。
ジャンポルスキー博士は、愛か怖れかと説きました。
何かを願うとき、それが愛ベースの思いかどうかを確かめてみてください。
善悪正邪は置かれる立場によって異なります。
国が違えば価値が逆転することもあります。
これを書きながら思い出したエピソードがあります。
青山にショップ&サロンがあった時代のこと。
毎日出荷するわけではない、あるジャンルの商品棚に豊富な在庫がズラ―ッと並んでいました。
「あれ?この商品、なんでこんなに在庫あるの?」
「注文する時に送料無料のラインになるよう追加して注文していたんですよ。在庫あるとすぐ発送できるから安心だと思って。」
「…誰が嬉しいの?」
「…よく考えたら、発送する私が安心なんですね。」
という、私とスタッフとのやりとりでした。
もちろん、豊富な在庫があればお客様に即発送できますが、消費期限がある製品をストックすると、期限切れになる可能性もあります。そうすると、在庫は無駄になり、会社に損を与えることになります。
在庫があれば、お客様に早く発送できて、お客様にとって善ですが、会社にとっては期限切れが生じたら悪になります。
善悪という観点だと視点は「誰が悪いか」に向かいますね。
この件は、経営者としての指示、指導不足なので、私に改善の余地があると考えることもできます。
①仕入れにルールを作り、②なぜそう考えるのかを教えるということを飛ばして、すべて任せていたのは私でした。
つまり、私が創造したと考えることができ、自分を改善することで再発防止できます。
こうして「自分ごと」と捉えて、自分の範疇に物事を入れたとき、初めてハンドルを握ることができます。
私がスピリチュアルを学ぶ道の上で最も鍛えられたのは、「相手のせいにしない」という感覚です。
すべての出来事は、自分が創造しています。
「あ、これは私が生み出したことだったのか」と気が付くことで、次の行動を建設的に考えることができます。
特に注目するべきは、その出来事を体験することによって、自分がどんな感情を抱いたのかです。
・私は正しい、相手が悪い
・私は悪くない
・私を認めて欲しい
・私はちゃんとやっている
などなど、自己の正しさを主張したいのなら、それは愛ではなくエゴの主張を疑ってみましょう。
エゴから行動をし、エゴの望み通りの結果を得たとしても、それは愛にはならないのです。
ひまわりの花を見たい…と願うなら、ひまわりの種を撒きます。水やりして育てて、やがて花が咲き、たくさんの種を収穫します。
人生で叶えたい願いも同じように、手に入れたいことを想像して、そこへ至るために種を撒きます。
それが祈りです。
祈りとは、あわよくば…でもなければ、一か八かでもありません。
とても実際的で現実的なことです。
愛からの種を撒けば愛を収穫し、エゴからの種を撒けばエゴの実を収穫するということです。
エゴの実は、美味しくないし、満たされることにならないですね。(笑)
祈るとき、怖れやエゴベースになっていないかを見直してみましょう。
愛からの祈りは、ミラクルを引き寄せ、周囲の幸せを巻き込みながら現実化していくようになっています。
祈りを通じて愛という種を蒔いていきましょう。
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それでは、今日もこの言葉で。
愛は世界をつくる ~ Love makes the world. ~