今日はLINE@にいただいたHさんからのご質問、「諦めないと執着は違いますか?」 にお答えします。
 

まず、結論からですが、この二つの言葉の定義は自分で決めて良いと私は考えています。

同じ状況をどんな立ち位置から見るかによって表現が違うだけだからです。
 



私自身のエピソードに、こんなことがありました。

私が人生で初めてのカウンセリングを受けたとき、当時の恋愛のことを相談しました。

「アドバイスを求められるなら、『おやめなさい』 ですよ。」

…と言われたにも関わらず、私はやめませんでした。

「私の本当の思いがよりクリアになって良かった」 と思ったぐらいです。(←すごい頑固。)
 

きっと、そのカウンセラーから見れば執着だったと思うのだけど、当人である私からすると諦めなかったというだけなのです。

こうした経験を超えてきたので、私のところへ来られるクライアントが諦めたくないと話されるとき、私は無理に手放すようにと言うことはありません。

人には言葉が届くときというものがあります。
また、自分が状況や事実を受け入れることができるタイミングがあります。

自分で納得して受け入れるときは、いつか来ます。

それを納得しやすくするための問いかけを、いくつか私から投げかけておくのがセッションですね。
 
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さて、Hさんは、言われたことに意識が向かってしまったのかもしれないけれど、諦めることや執着するという言葉の定義ではなく、人生の出来事を自分がどう受け止めるのかが大事…と、私は思います。

期待と願いの違いも、言葉の定義の違いですね。
期待であっても、願いであっても良いのです。

自分が選んだことだから、その先に起きる結果についても自分の責任の範疇ということなのです。そこに他人の言葉を影響させる必要がありません。



失敗したくない。痛い思いをしたくない。
多くの方はそう思っています。

では、ランチの注文だったらどうでしょう。
注文したお料理が運ばれてきたあと、しまった!と感じる体験があるかもしれません。
だけど、次は違うものにしようとか、新たに何か注文するとか、違うお店へ行くとか、選択肢がありますよね。

では、住まいについてはどうでしょう。
金額も労力も大きいので、しまった!と感じたくないという気持ちがランチよりは大きくなりますよね。だから事前から慎重に検討するでしょう。

では、パートナーについてはどうでしょう。
これは人生を賭けた問題なので、しまった!と絶対に感じたくないですよね。
 
でもね、私は、恋愛がうまくいかなかったことがきっかけでセラピストになり、新しい道が開いていきました。
 
 
こんな風に、たとえその時は傷つく経験だったとしても、それが自分をより深く知らしめ、新しい道へと連れて行ってくれることがあります。
 
だったら、失敗ということはないのだと思うのです。

そもそも、言葉の定義は自分の中のパーソナルなものなので、誰かにそれを指摘されたり非難されたりする必要はないですね。

私たちは、「自分で決める」 という自由を有しています。
これが自由を難しくしてしまうのだけど、何を選んで上手くいっても、いかなくても、自分で選んでいいのです。

地球は自由を学ぶ星だから。
 
 
今日のまとめ。
 
諦めないと執着の違いは、自分で決めてオッケー。
 
このブログを読んでくださったあなたへ、私から最大級のエールを送ります。

 

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年末年始という期間に、一年について思いを馳せることは大切です。一年の指針を考える大切な時間を、ご一緒させていただけることを楽しみにしています。


 それでは、今日もこの言葉で。

 

愛は世界をつくる ~ Love makes the world. ~ ラブラブ

 

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