私の父は家で良く怒鳴っていたので、私は 「お母さんかわいそう」 と思って育ちました。
大人になって、母と話していて分かったのですが、母に取って父が大声で怒鳴ることは、「向き合ってくれている」 という認識だったそうです。(驚愕しました…笑)
つまり、かわいそうというのは私が勝手に抱いた思いでした。
母本人は別にかわいそうではなかったわけで、私が母をかわいそうな人に仕立てていただけだったのです。
また、父が怒鳴っている=怒っているというのも私の認識でした。
大阪弁が怒っているように聞こえただけだったということも後から分かりました。
感情は、とても相対的なものです。
事情や情報が増えてくると、怒りではなく慈しみに変化することもあります。
怒っていたはずなのに、事情が分かったとたん
「なぁんだ、話してくれれば良かったのに~。」
…って、気持ちが激変すること、ありますよね。
つまり、感情は、環境や状況によって、いくらでも変化させられるもです。
始めは怒ったかもしれないけれど、それが永続するわけではないかもしれませんよね。
とても流動的なもの、それが感情です。
もし怒りが湧き上がったとしても、ダメだと否定しなくて大丈夫です。その感情はいずれ変化するかもしれないわけだから。
ただ、自分の怒りは自分の中にあり、他者の怒りはその人のものなのです。この区別ができるだけでも、自己観察を進める一歩となります。
怒りを感じたときには、まず、
自分のことなのか
誰かの思いを代わりに体験しようとしているのか
を、観察し把握することから始めましょう。
怒りは瞬間的に出てしまうという方は、怒った後でも良いのです。考える時間を持ってみましょう。
バラエティ豊かな感情の中で、どんな感情を味わいたいかは、常に自分の意識が選んでいます。
怒っている人は、怒ることを意識的に選んでいるし、悲しむ人は、悲しむことを選んでいます。
なにを選ぶのもその人の選択次第だし、自由です。
もし、怒って衝動的に人や世界を傷つけるような言動を取ると、それは生み出してしまったので、いつか巡ってきて因果を受け取ることになります。自分が蒔いた種を刈り取るわけです。
怒りのエネルギーを表現すると怒りが、
ただし、ものは使いようです。
怒りの表現を音楽や芸術などで創造として表すことで、結果的に誰かを幸せにすることができたとしたら、それは徳を積む体験となるのです。
これはまた別のシリーズの中で詳しくお話したいと思います。
今日のところは、怒りが悪いものではないと少しでも気づくことができればオッケーです。
次回も怒りシリーズで、「怒る理由を分析する」 ということについてをお話します。
大切なテーマなので、いろいろな角度で扱っていきますね。
それでは、今日もこの言葉で。
愛は世界をつくる ~ Love makes the world. ~
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