今日はいただいたご相談について、ブログに書きますね。


今日のご質問は、


「人に何かを教えるとき、教えたくなる人と、ならない人がいます。
 差別するものではないと頭では分かるのですが、
 どうすれば小さい自分を超えられるのでしょうか?」


でした。


このご質問者は、人に何かをしてあげるのが好きな方かもしれませんね。


この答えは100人いたら100通りだと思いますので、スピリチュアリストとしての私の見解をお話していきますね。


私は、人に何かしてあげるのは好きな方です。

喜んでもらえることが嬉しいです。


でも、確かに、喜んでもらおうと思って自らすすんで行ったことが、悪意でもって返されたり、無為にされてしまうことが、ありました。
 

また、お願いされて応えたことが、残念な結果に繋がった経験もあります。



そんなときには、自分がどんな気持ちでその行動を選んだのかを見直してみます。

なぜなら、全ての事象は自分が創っている世界だから。


喜んで自ら進んで行ったことでも、
気乗りしないながらも行ったことでも、

「行う」ことを選んだのは自分です。


自分で選んだということを分かっていたら、「しようと思ったから、そうした」 という思いは自分の真実ですね。
 

これで、はじめて自分が文章の主人公になります。



 

そうしたら、「相手を思って、やれることは尽くした」と自分が思えたら、もうそれでオッケーだと私は考えます。


誠意は、何年も経って伝わることもあります。

なにより、自分が思い、自分で決めて行ったことを、自分で責める必要はないのだと思うのですね。


さて、スピリチュアルな視点からお話すると、豊かさとは世界に自分がエネルギーを与えた度合いに比例します。
 

「この人には与えたくない」と、与えることを出し渋る根性は、私が言うところのケチ根性。

与え渋るのは、自分の方が相手より優位に立っていたいからです。

なぜなら、相手よりすごい自分でいれば、相手をコントロールできるから。


そう思っている間は、本当の豊かさには届きません。

また、愛も、同じ法則です。もらいたいばかり考えているうちは、愛は手に入らないのですね。


与えることを渋る自分に出逢うときは、その先に何が起きることを心配したり懸念したりしているのか、見つめてみませんか。


そこには、必ず、思い込みや観念が存在します。



私の父が良くこんなことを言っていました。

 「相手に良かれと思ってしたことは、たいていの場合ムダになる」


マーフィーの法則をまんま体現している父(笑)、これも立派な観念ですね。


こうして自分が経験したことから観念をつくりだし、ここから創っていく未来の先に勝手にその観念を想像して、きっとうまくいかないという前提をつくりだしていく。


人は、幸せになりたいと思っているのに、過去や未来に意識を飛ばして、うまくいかない方へとハンドルを切ることがあります。




自分の観念が自分の未来を縮小するなんて、もったいないよね。

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