仕事の一区切りがついた。

大きな大きな一区切りがついた。


この3年間突っ走ってきた。

今までにない心の休息。

そして気づいた。

言葉を吐き出すことが少なくなった。

故にブログの更新頻度も少なくなった。

それでいいのか、それでいいのだ、やっぱまだ分からない。


そういえば、かねてから購入を検討していたカメラを買った。

購入を検討する中でふと思った。

カメラで写真を撮るということは、ただの手段と思われる。

写真を撮る目的は何だろうか。

それは大切な日々を写真として残し、たびたび目に留めることで記憶に定着させ、幸せを常に自分の身にまとわせるためだと思う。

そしてもう一つ、被写体に注目するという理由もあると思う。

私はこの第二の目的を果たすため、スマホでなくコンデジにしたのである。


この第二の目的は興味深く思われる。 

写真に残すならスマホで良い。スマホでも十分綺麗な写真を撮れる。

なのになせコンデジにしたのか。もちろんコンデジのほうがセンサーが大きいため細部まで綺麗に、肌感や雰囲気を残しつつ撮れる。

しかし、それとは別に被写体に注目し、シャッターを切る、これが重要だと思う、私にとっては。

目的に集中するために、手間をかける。失敗しないように。


話は飛躍するが、人生においても同じようなことが言えるのではないか。

人生の目的は幸せになること、だと思っている。

だがその幸せ(結論)には、それに対する人生(過程)が重要である。それに対して結果があり、考察(納得)する。なるほど、少し考えが整理されてきた気がする。つまり、人生の卒論の章立ては以下だ。


目的: 幸せになること

方法: 人生を歩む

結果: 楽しい家庭を気づくことができた

   仕事で世界に役立つものを作れた

考察: こういう理由で、これがこうなった。

   これは幸せと考えられる。

結論: 幸せな人生だった


結果にはどんな項目があるのだろう。

友人、結婚、仕事などか。

結果の最後にはマルバツ表でも作るのか?基準は?

参考文献は、自分の築きあげた考えが主で、周囲の人の言葉や読んだ本になるだろう。


なんだか話が飛んだが、結局なにがカメラと人生が一緒なんだ。

読み返して意味がわからないじゃないか。

結果がすべてじゃないって言いたいんだろうな。

やはり大事なことは小学生までに教わっている。

基本に忠実にできないのは世界が複雑だからだろう。

社会はそんなに簡単じゃない。

パラメータなんぞ、相互に独立していない。