YouTubeのショート動画を見ることと、美術館に行って絵に没頭することの違いは何か。
何年か前に暇と退屈の倫理学という本を読んだ。
その本を読んで、人生とは没頭と暇の振り子なのだなと思った。
どんなことでも、その内飽きてしまう。それが例え、昔望んでいた幸せな状況でも。
上記の本の中で、以下のような発言が引用されていた。
「私は美術館が好き。絵画は私の意識を取り去ってくれるから」
この言葉が記憶にとても残っている。
私は本屋巡りが好きだ。私にとっては、本屋巡りが私の意識を取り去ってくれる。
意識を取り去る、という言葉を私は没頭という意味と解釈している。
さて話を戻す。
私の中に上記の話を落とし込むと、没頭は良いこと、善である。
つまり本屋巡りも善。
では、YouTubeのショートをだらだら見るのは善?
YouTubeのショートのようなネットや動画をダラダラ見るようになったのは、大学生で卒論が大変で辛かったときである。簡単に言えば、現実逃避だ。それから、疲れているときはよく見るようになってしまった。暇あればスマホを取って動画を見る。
なんとなく悪いこと、頭に悪影響を与えそうだが、ゲームや本屋巡り、美術館巡りとの違いが分からない。何が違うのだろうか。
出発地点から到着まで見てみる。
自分から望んで足を運ぶ、見に行く
絵、本、動画が情報を与えてくる
没頭する
没頭が終わる
なるほど、同じに見える。
簡略化しすぎて、違いが見えていない可能性もある。
だが書いていて思ったことは、どちらも同じ結果を導いている一方で、それらのハードルが違うということである。
ここでも出てきた。結果でない。経路なのだ。
一概にスマホのYouTubeショートを見続けることが悪だとは言えない。私はその科学的根拠を知らないから。そういえば、スマホ脳みたいな警鐘を鳴らす本も出ていた。読んだが忘れてしまった。。。
ただ1つ思うことは、YouTubeショートを見続けた後は時間を無駄にした気分になることに対して、読書や美術鑑賞では充実した気分になることである。
これがYouTubeショートの悪影響か、自最近の技術のため感情が慣れていないからなのかは分からない。
いずれにせよ、時間を無駄にした気分になることは避けたい。
どっかでsnsによるドーパミン疲れみたいな文言を見た記憶がある。
YouTubeショートは、結果まで最短距離なのだろう。
今どきのコスパよい行動と同じだ。
結果への道のりは全て最適化される。
それは果たして人生にも適用可能だろうか。
ゲームや仕事ならそれで良い。それらは結果が第一優先だから。
人生は?人生の第一優先は?
なるほどなるほど。腑に落ちた。
人生の第一優先は、考察である。
結果ではない。いや結果といば結果なのだけど結果ではない。その結果は方法に依存される。
わかりやすく言えるかな。
例えば仕事では、x線分析を行いさえすればよい。
しかし人生ではx線を分析するためにどのように、誰に依頼したか、なぜx線分析にしたか等など、そこら辺が重要である。
まだモヤがかかっているが、少しだけ糸を掴めたのではないか。
悪くない。