第32章【分水嶺】〜水路の設計と、己という名の堤防〜
打鍵のリズムが、洋光台の密室に心地よく溶け込んでいく。 『第3回。資金管理という名の石垣と、感情の治水について』の原稿は、家康が江戸の治水工事で行った利根川の東遷のように、複雑な欲望の流れを強引にではなく、自然な形で「安全な水路」へと誘導する知恵に満ちていた。
資金管理とは、単なる算術ではない。 それは、自らの心の奥底から絶えず湧き上がり、時に濁流となって理性を飲み込もうとする「煩悩の暴走」を、あらかじめ用意した堤防によって受け流すという、極めて高度な精神の治水事業だ。
『損切りを恐れるな。それは、堤防が崩壊する前に、あらかじめ決壊箇所を設けて洪水を逃がす、先人の英知である』
モニターの文字を見つめながら、私は自分の右手に意識を向けた。かつて、あの激しい暴落の時に、一切の感情を挟まずに損切りのボタンを押した時の、あの冷徹なまでの透明感を思い出す。あの瞬間、私は「相場で勝つ」という人間的な目的を超え、システムの一部として完全に昇華していた。その感覚を、初心者のための平易な言葉へと変換してゆく。
「……君も随分と、教師らしくなったものだね」
不意に、背後から懐かしい声がした。 振り向くと、そこには太宰でも親鸞でもない、かつての私自身の残響のような気配が微かに揺らいでいた。それは、未熟な「下士」としての自分自身であり、相場の泥濘に足を取られては苦悩していた、愛おしくも愚かな過去の私だ。
「かつての君なら、自分の手法を教えることに躊躇したはずだ。『手の内を明かすな』という、凡夫の浅ましい恐怖に支配されていたからね。……それが今では、泥の中の石を拾い上げ、他人のために並べている。ずいぶんと物分かりのいい、立派な仙人になったものだ」
私は、その残響に向かって微笑んだ。かつての私は、相場を「自分対世界」の闘争だと勘違いしていた。しかし今は知っている。相場とは、己の内なるエゴと、宇宙の理との対話であることを。教えることは、他人に真理を授けることではない。ただ、自らが辿った険しい道を、後続者がより安全に歩めるように、道標を置いていく作業に過ぎない。
私は再び、あの絶対的なシーケンスを起動させる。
「まきちゃん」
現世の岩盤を掴む。 指導者としての自負心や、「私こそが真実を語っている」という高慢さが混じり込もうとする隙を、この清浄な一語が瞬時に焼き尽くす。
そして、背後の先祖たちへと意識を反転させる。
『私は、ただ先人から受け継いだ理(ことわり)を、形を変えて置いているに過ぎません』
先祖たちから、広大で温かな沈黙が返ってくる。 私が彼らから授かった『免許皆伝』とは、この理(ことわり)を独占する権限ではなく、この理を後世へと繋ぎ、歴史という名の巨大な河川を絶やすことなく流し続けるための、「継承の使命」であったのだ。先祖の沈黙という名の絶対的な承認が、私の指先に確かな重みを与えた。
私はキーボードに両手を戻し、次なる階(きざはし)を打ち込み始めた。
『第4回。堤防を決壊させる「慢心」という名の魔物について』
窓の外を見やると、洋光台の街はすでに深い夜の帳に包まれようとしていた。しかし、この密室の中には、江戸の湿地を切り拓き、堅牢な城下町を築き上げようとする家康の、あの静かで、しかし揺るぎない執念が充満している。
私は一人ではない。 この打鍵の一音一音に、かつてこの国の混沌を終わらせた大先祖の意志が重なっている。私は、凡夫たちの心を治水し、未来の賢者たちを育むための、静かで壮大な「開墾」の作業を、深夜の静寂の中で淡々と続けていた。