光明のひかり入門

弱い凡夫のための人間改造指南書

第22回 鈍行でよい――遅い人ほど深くなる

第21回では、沈黙を怖がらない修行について学びました。

先祖へ語っても、最初は沈黙です。

返事がないことがあります。
夢がないことがあります。
気配がないことがあります。
何も変わらない朝があります。

しかし、沈黙は、すぐ拒絶ではありません。

先祖は、黙って聞いていることがあります。
神仏は、黙って見ていることがあります。
霊界は、すぐ返事をしないことがあります。

下士は、沈黙を怖がりません。

語る。
沈黙に耐える。
一行に残す。
生活へ戻る。

これを続けます。

返事より、戻る。
証拠より、生活。
奇跡より、一手。

これが、第21回の学びでした。

今回の第22回では、もう一つ大切なことを学びます。

それは、

鈍行でよい

ということです。

早く進まなくてよいのです。
すぐ分からなくてよいのです。
すぐ夢枕が来なくてよいのです。
すぐ先祖の反応がなくてよいのです。
すぐ上の段階へ進まなくてよいのです。

遅くてよい。

むしろ、遅い人ほど、深くなることがあります。

修行は、快速ではない

凡夫は、すぐ結果を求めます。

早く変わりたい。
早く楽になりたい。
早く認められたい。
早く先祖と話したい。
早く神仏の許可がほしい。
早く夢枕を見たい。
早く特別になりたい。

しかし、修行は快速電車ではありません。

修行は、鈍行です。

一駅ずつ進みます。
何度も止まります。
時には戻ります。
景色を見ながら進みます。
焦る人には遅く見えます。

しかし、鈍行には鈍行のよさがあります。

鈍行は、見落としません。
鈍行は、足元を見ます。
鈍行は、小さな駅にも止まります。
鈍行は、急ぎすぎて心を置き去りにしません。

光明のひかりの修行も同じです。

水。
半拍。
一行。
一手。
戻る。

この小さな駅に、何度も止まるのです。

遅い人は、弱い人ではない

進みが遅いと、人は自分を責めます。

私はだめだ。
私は鈍い。
私は感じない。
私は夢を見ない。
私は先祖に見られていない。
私は神仏に認識されていない。
私は修行に向いていない。

そう思うことがあります。

しかし、遅い人は、弱い人とは限りません。

遅い人は、慎重な人かもしれません。
遅い人は、傷が深い人かもしれません。
遅い人は、器を作る時間が必要な人かもしれません。
遅い人は、軽い反応で慢心しないよう守られている人かもしれません。

すぐ反応が来ることが、必ずよいとは限りません。

すぐ夢を見る。
すぐ気配を感じる。
すぐ先祖の声だと思う。
すぐ自分は特別だと思う。

これが危険になることもあります。

遅い人は、遅い分だけ、基本へ戻る時間を与えられています。

水へ戻る時間。
半拍へ戻る時間。
一行へ戻る時間。
一手へ戻る時間。
失敗して戻る時間。

この時間が、器を深くします。

鈍行修行者は、足元が強くなる

早く進む人は、見えやすいものを得ることがあります。

夢。
気配。
手応え。
反応。
不思議な感覚。

しかし、鈍行修行者は、足元が強くなります。

水を忘れない。
半拍を忘れない。
一行を忘れない。
一手を忘れない。
戻ることを忘れない。

先祖の反応がなくても、水を飲む。
夢がなくても、一行を書く。
許可が見えなくても、生活を整える。
声が聞こえなくても、先祖へ一言語る。
何も変わらなくても、今日の一手を打つ。

こういう人は、静かに強くなります。

派手さはありません。
人に自慢できることも少ないです。
しかし、足元が崩れにくくなります。

先祖対話に必要なのは、派手な霊感ではありません。

戻れる足元です。

反応が遅い時ほど、一行にする

何も起きない日が続くと、心が乱れます。

「今日も何もなかった」
「今日も夢を覚えていない」
「今日も先祖の反応がない」
「今日もマキチャンを唱えたが分からない」
「今日も沈黙だった」

こういう時こそ、一行にします。

「今日も沈黙だった」
「今日も水へ戻った」
「今日も夢はなかった」
「今日も一手だけ打った」
「今日もマキチャンと唱えた」
「今日も分からないまま戻る」

これでよいのです。

反応があった日だけが修行ではありません。
反応がない日を記録することも、修行です。

遅い日。
何もない日。
分からない日。
沈黙の日。

それを一行に残す。

それが、鈍行修行者の足跡になります。

早く進みたい心を半拍で止める

早く進みたい心が出たら、半拍置きます。

「早く先祖と話したい」
半拍。

「早く夢枕がほしい」
半拍。

「早く許可がほしい」
半拍。

「早く特別になりたい」
半拍。

「早く結果を出したい」
半拍。

この半拍が、修行を守ります。

急ぐ心は、悪ではありません。
成長したい心でもあります。
変わりたい心でもあります。
神仏のお導きを欲する心でもあります。

しかし、急ぎすぎると、道が乱れます。

急ぎすぎると、夢を作ります。
急ぎすぎると、反応を作ります。
急ぎすぎると、低級ノイズを先祖の声と間違えます。
急ぎすぎると、生活を壊します。

だから、半拍です。

急ぐ心を責めない。
しかし、急ぐ心に運転させない。

下士は、半拍で速度を落とします。

鈍行で進む人ほど、生活に戻れる

修行が遅い人には、生活があります。

家族があります。
仕事があります。
学校があります。
病気があります。
お金の不安があります。
人間関係があります。
孤独があります。
体調があります。
疲れがあります。

だから、修行だけに集中できないことがあります。

しかし、それでよいのです。

光明のひかりは、生活から離れる道ではありません。
生活の中で戻る道です。

家庭生活の中で、水へ戻る。
社会生活の中で、半拍置く。
学校生活の中で、一行を書く。
仕事の中で、一手を小さくする。
病気や不安の中で、助けにつながる。
孤独の中で、先祖へ一言語る。

生活があるから、修行は遅くなります。
しかし、生活があるから、修行は深くなります。

生活の中で鍛えられた下士は、簡単には浮きません。

地に足がつくからです。

遅い人ほど、人の痛みが分かる

早く進んだ人は、早く進めない人の苦しみを忘れることがあります。

「なぜできないのか」
「なぜ戻れないのか」
「なぜまだ迷っているのか」
「なぜ一行も書けないのか」
「なぜ水も飲めないのか」

そう思ってしまうことがあります。

しかし、遅く進んだ人は、人の痛みが分かります。

水を飲めない日の苦しみが分かる。
半拍を置けない日の悔しさが分かる。
一行を書けない夜の重さが分かる。
一手を打てない心の止まりが分かる。
失敗して戻る苦しさが分かる。
沈黙に耐える寂しさが分かる。

だから、鈍行修行者は、後に人を導く時、やさしくなれます。

「遅くてよい」
「戻ればよい」
「一行でよい」
「水だけでよい」
「今日の一手でよい」

そう言えるようになります。

遅さは、未来の還元になります。

神仏は、遅い人を見捨てない

神仏は、早い人だけを見るのではありません。

派手な人だけを見るのでもありません。
霊感が強い人だけを見るのでもありません。
夢をよく見る人だけを見るのでもありません。

神仏は、戻る人を見ます。

遅くても戻る人。
弱くても戻る人。
沈黙でも戻る人。
何も感じなくても戻る人。
失敗しても戻る人。

こういう人を見ます。

なぜなら、そこにエキスの可能性があるからです。

試練を受け、迷い、崩れ、止まり、失敗し、それでも戻る。
そこから、深いエキスが生まれます。

だから、遅くてもよいのです。

神仏に見られるために必要なのは、早さだけではありません。
真言の熱意。
生活の実践。
戻る姿。
諦めない心。

これらが大切です。

「マキチャン」も鈍行でよい

「マキチャン」の連呼も、鈍行でよいです。

一日で結果を求めない。
一晩で夢を求めない。
一週間で許可を求めない。
唱えた回数だけで慢心しない。
何も起きないからといって、すぐ投げ出さない。

「マキチャン」
「マキチャン」
「マキチャン」

唱えたら、水へ戻る。
唱えたら、一行にする。
唱えたら、生活へ戻る。

何も感じなければ、

「今日は何も感じなかった」
「それでも唱えた」
「それでも水へ戻る」

と一行にします。

「マキチャン」は、神仏へ自分を認識してもらう合図です。
しかし、認識されたかどうかを急いで確認しようとしないことです。

神仏の時間に任せる。
自分は基本へ戻る。

これが、下士の姿勢です。

鈍行修行者の一日

鈍行修行者の一日は、派手ではありません。

朝、水を飲む。
「マキチャン」と短く唱える。
夢を覚えていれば一行にする。
覚えていなければ、「夢は覚えていない」と書く。
怒りそうになったら半拍置く。
失敗したら戻る。
夜、先祖へ一言語る。
「今日はこれだけでした」と報告する。
一手を小さくして眠る。

これだけです。

しかし、これを続けることは簡単ではありません。

派手な悟りより難しいことがあります。
大きな祈りより難しいことがあります。
長い読経より難しいことがあります。

なぜなら、生活の中で続けるからです。

鈍行修行者は、生活の中で鍛えられます。

人と比べない

鈍行で進むためには、人と比べないことが大切です。

あの人は夢を見た。
あの人は気配を感じた。
あの人は早く変わった。
あの人は反応があった。
あの人はすぐ一行を書ける。
あの人は水へ戻れる。

そう比べると、苦しくなります。

修行は、人と競争するものではありません。

その人には、その人の速度があります。
その人には、その人の傷があります。
その人には、その人の先祖があります。
その人には、その人の試練があります。
その人には、その人の許可の時期があります。

自分には、自分の鈍行があります。

他人の快速に乗らなくてよいのです。

自分の鈍行で進めばよいのです。

遅い時の一行

遅いと感じた日は、一行にします。

「私は遅い」
「でも、水へ戻る」
「今日も進まなかった」
「でも、一行は残す」
「夢はなかった」
「でも、生活へ戻る」
「許可は分からない」
「でも、マキチャンと唱える」
「沈黙だった」
「でも、一手を小さくする」

これでよいのです。

遅さを一行にすると、遅さが敵ではなくなります。

遅さも、道の一部になります。

鈍行と安全

修行を急ぐと、危険になることがあります。

眠らずに真言を唱え続ける。
夢を見ようとして無理をする。
食事を削る。
薬や診察を勝手にやめる。
お金や人間関係を夢や気配だけで動かす。
生活を壊してまで先祖反応を求める。

これは、光明のひかりの道ではありません。

鈍行でよいのです。

眠る。
食べる。
薬や診察が必要なら守る。
生活を整える。
水を飲む。
半拍置く。
一行を書く。
一手を小さくする。

危険な時は、修行より安全です。

助けを求めることは、失敗ではありません。
命を守る一手です。

今日の実践

第22回の実践は、鈍行を認めることです。

一つ目。
今日は早く進もうとしない。

二つ目。
水を飲む。

三つ目。
「マキチャン」と短く唱える。

四つ目。
遅さを一行にする。

「今日は遅い」
「でも、水へ戻る」
「今日は何も感じない」
「でも、一手を打つ」

五つ目。
人と比べない。

六つ目。
生活の中で一つだけ戻る。

怒ったら半拍。
崩れたら一行。
止まったら一手。
失敗したら戻る。

七つ目。
危険な時は助けにつながる。

命を守ることを最優先にします。

第22回のまとめ

修行は、快速ではありません。

鈍行でよいのです。

早く夢を見なくてよい。
早く反応を得なくてよい。
早く先祖と話せなくてよい。
早く神仏の許可を確かめなくてよい。
早く特別にならなくてよい。

水へ戻る。
半拍へ戻る。
一行へ戻る。
一手へ戻る。
失敗したら戻る。

その鈍行でよいのです。

遅い人は、弱い人ではありません。
遅い人は、深くなる人です。

沈黙の中で戻る人。
夢がなくても戻る人。
反応がなくても戻る人。
何も感じなくても戻る人。
失敗しても戻る人。

そういう人を、先祖は見ています。
そういう人を、神仏は見ています。

返事より、戻る。
証拠より、生活。
奇跡より、一手。

他人の快速に乗らなくてよい。
自分の鈍行で進めばよい。

鈍行で進む凡夫。

それが、深くなる下士です。 

 

次回は、鈍行で続ける下士が陥りやすい危険を扱う、第23回「下士の落とし穴――慢心・焦り・依存」 に進めます。