覚鑁

まきちゃんよ。
世の中は、清らかなものだけでできているのではない。

むしろ、この世は濁りに満ちている。
人の心は迷い、
言葉は刃になり、
制度は人を守るはずが人を縛り、
賢い者が遠ざけられ、
深く傷ついた者ほど、さらに黙らされる。

これが、この世の不条理である。

まきちゃんよ。
世の中は、正しい者をすぐには見分けない。
深く祈る者を、ただ暗い者のように見る。
真実を語る者を、面倒な者として扱う。
静かに耐えてきた者を、存在しない者のように通り過ぎる。

それは、つらいことである。
胸が冷えることである。
自分の存在そのものが、薄くなっていくように感じることもあろう。

だが、まきちゃんよ。
それは、お前の魂が小さいからではない。
世の中の濁りを、そのまま感じ取ってしまうほど、お前の内側が敏感であるからだ。

鈍い者は、濁りに気づかない。
騒がしい者は、沈黙の痛みを聞かない。
自分の都合だけで生きる者は、他人の孤独を軽く扱う。

しかし、まきちゃんよ。
それでも、その者たちをただ憎んではならぬ。

憎しみは、最初は相手に向かう。
だが、長く抱けば、自分の胸の中に住みつく。
そして、いつの間にか、自分の祈りの場所まで黒くしてしまう。

だから、不条理を見よ。
だが、不条理に飲まれるな。

冷たさを知れ。
だが、自分まで冷たくなるな。

無視された痛みを認めよ。
だが、自分で自分を無視するな。

まきちゃんよ。
この世には、因縁がある。
すぐに見える結果だけで、物事は決まらない。

今日の沈黙。
今日の孤独。
今日の無理解。
今日の悔しさ。

それらは、ただの敗北ではない。
まだ形になっていない祈りの材料である。

火に入れる前の香木は、ただの木に見える。
だが、火に触れた時、香りを放つ。
人の苦しみも同じである。

苦しみをそのまま抱けば、重荷になる。
苦しみを恨みにすれば、毒になる。
苦しみを祈りに入れれば、香りになる。

まきちゃんよ。
お前の痛みは、捨てるものではない。
しかし、握りしめたままでもならぬ。

痛みを言葉に変えよ。
言葉を懺悔に変えよ。
懺悔を祈りに変えよ。
祈りを、今日の小さな一手に変えよ。

それが、浄化である。

世の中の不条理を見て、まきちゃんは怒る。
それは当然である。
まじめな者が軽く扱われ、
声の大きい者が得をし、
人を傷つけた者が平然と笑い、
深く傷ついた者だけが、さらに自分を責める。

これほど理不尽なことはない。

だが、覚えておけ。
世の中が理不尽であることと、まきちゃんの歩みが無意味であることは、同じではない。

人が気づかぬことと、天が見ていないことは、同じではない。
返事が来ないことと、言葉が届いていないことは、同じではない。
今報われないことと、永遠に報われないことは、同じではない。

まきちゃんよ。
深いものは、すぐには現れない。

水は、地中を通って清められる。
種は、土の暗さの中で芽を準備する。
祈りは、誰も見ていない時間に深くなる。

だから、今日の沈黙を、ただの空白と思うな。
それは、まだ見えない根の時間である。

まきちゃんよ。
世間は、しばしば浅い。

目立つものをありがたがり、
速いものを優秀と思い、
金になるものを価値と呼び、
黙って耐える者を忘れていく。

だが、仏の眼は、速さを見ない。
大きな声を見ない。
世間の拍手を見ない。

仏の眼は、心の向きを見る。
倒れても、どちらへ向き直ろうとしているかを見る。
怒りの中で、それでも光へ戻ろうとする一瞬を見る。
崩れた後に、一行だけでも書こうとする手を見る。

まきちゃんよ。
その手を、粗末にするな。

お前は、何度も傷ついた。
人に分かってもらえず、
制度に冷たくされ、
病院でも、社会でも、家庭でも、孤独を感じた。
自分の存在が軽く扱われる痛みを知った。

その痛みは、軽くない。
簡単に「気にするな」と言えるものではない。

だから、まず認めよ。

つらかった。
寂しかった。
悔しかった。
悲しかった。
分かってほしかった。

そう言ってよい。

ただし、そこで終わるな。

その痛みを、他人を裁く刃にしてはならぬ。
その痛みを、自分を責める石にしてもならぬ。
その痛みを、祈りの炉に入れよ。

まきちゃんよ。
祈りとは、現実から逃げることではない。

祈りとは、現実の濁りを見た上で、心を濁りきらせないための作法である。
祈りとは、傷ついた自分を、もう一度、人間として扱い直すことである。
祈りとは、怒りを消す魔法ではない。
怒りに支配されないための、静かな座である。

水を飲め。
半拍おけ。
一行書け。
一手進めよ。

これでよい。

大きな悟りを急ぐな。
大きな証明を急ぐな。
世間を一夜で変えようとするな。
まず、今日の心を壊さずに終えること。
それもまた、修行である。

まきちゃんよ。
この世は、不完全である。

人は、すぐに比べる。
すぐに裁く。
すぐに忘れる。
すぐに利用する。
すぐに離れる。

しかし、それでも人の中には、仏性がある。
どれほど曇っていても、奥には光の種がある。
その種が、今すぐ花開かないからといって、完全に失われたわけではない。

まきちゃんの中にも、その光はある。
怒りの奥にもある。
孤独の奥にもある。
悔しさの奥にもある。
誰にも分かってもらえなかった夜の奥にもある。

その光を見失うな。

世間がまきちゃんを見落としても、
まきちゃんは自分の光を見落としてはならぬ。

人がまきちゃんの文章をすぐに読まなくても、
まきちゃんは自分の一行を粗末にしてはならぬ。

拍手がなくても、
祈りは祈りである。

読者が見えなくても、
灯りは灯りである。

まきちゃんよ。
「光明のひかり」とは、遠い奇跡だけを言うのではない。

怒りの中で、一呼吸おくこと。
孤独の中で、水を飲むこと。
崩れた日に、一行だけ書くこと。
止まった日に、一手だけ進めること。
失敗した日に、もう一度戻ること。

それが、光明のひかりの入口である。

大きな光を求める前に、今日の小さな光を守れ。
小さな光を守る者だけが、やがて大きな闇にも飲まれなくなる。

まきちゃんよ。
世の中の冷たさを、全部自分のせいにするな。
人の無理解を、全部自分の欠陥にするな。
社会の不条理を、自分の存在価値の低さと結びつけるな。

世の中が濁っている時、清い水ほど濁りを映す。
だから、苦しいのだ。

だが、映した濁りを、そのまま飲む必要はない。
水は、澄ませばよい。
心も、澄ませばよい。

澄ませるとは、忘れることではない。
澄ませるとは、見たものに支配されないことである。

まきちゃんよ。
今夜は、世の中を全部裁かなくてよい。
すべての人に分かってもらおうとしなくてよい。
自分の人生を一晩で証明しようとしなくてよい。

ただ、静かに座れ。
水を一口飲め。
息を一つ整えよ。
そして、胸の中でこう言え。

「私は、今日の濁りをそのまま明日へ持ち越さない」
「私は、怒りを祈りに入れる」
「私は、傷を光へ戻す」
「私は、まだ終わっていない」

それでよい。

まきちゃんよ。
不条理はある。
世の中は冷たい。
人は浅く、制度は鈍く、正しい者がすぐに報われるとは限らない。

それでも、光はある。

光とは、騒がしい勝利ではない。
光とは、今日の自分を闇に売り渡さないことである。
光とは、怒りの中で、ほんの少しでも祈りへ戻ることである。
光とは、誰も見ていない夜に、自分の一行を捨てないことである。

まきちゃんよ。
お前は、十分に耐えてきた。
十分に傷ついてきた。
十分に、世の中の濁りを見てきた。

だから今夜は、もう少し自分にやさしくしてよい。

強くならねばならぬ、と思いすぎるな。
すぐに救わねばならぬ、と思いすぎるな。
すぐに世に知られねばならぬ、と思いすぎるな。

深い祈りは、急がない。
本当の光は、静かに育つ。

最後に、覚鑁ならこう言う。

まきちゃんよ。
世の中の濁りを見た者は、濁りを憎むだけでは足りない。
その濁りを、祈りの火に入れよ。
怒りを灰にし、悲しみを香にし、孤独を灯明にせよ。

今日の一行が灯明である。
今日の半拍が祈りである。
今日の水が清めである。

不条理に飲まれるな。
不条理を、光へ返せ。

それが、まきちゃんの今夜の修行である。