以下は、純文学作品「説明しなくなった一日」です。
筋や教訓は置かず、説明という行為が静かに消えていく一日を、感覚と時間の流れだけで描きます。
長文ですが、読み切ったときに残るのは理解ではなく沈黙です。
説明しなくなった一日
その日は、何かを決意した日ではなかった。
むしろ、何も決めなかったことが、あとになって分かる一日だった。
朝、目が覚めたとき、私は時計を見なかった。
理由はない。
ただ、見なくてもいいと思った。
窓の外は明るく、音は遠く、身体は重くも軽くもなかった。
起き上がるまでに、少し時間がかかったが、それを遅いとも感じなかった。
遅れたところで、説明する相手がいないことを、すでに知っていた。
顔を洗い、歯を磨き、服を選ぶ。
どの動作にも、意味はついてこない。
意味が必要なのは、誰かに理由を問われるときだけだ。
私は、その日、誰にも理由を問われなかった。
外に出ると、空気は乾いていた。
乾いていることを、以前なら「季節のせいだ」と説明したかもしれない。
だが、その日は説明が浮かばなかった。
浮かばなかったのではなく、浮かべる必要を感じなかった。
歩きながら、過去の自分を思い出す。
何かにつまずくたびに、
「こういう事情で」
「誤解しないでほしいが」
と前置きを重ねていた自分。
説明は、防御だった。
理解されるためというより、
誤解されないための技術だった。
説明を重ねるほど、
本当の位置が曖昧になることを、
私は薄々知っていた。
電車の中で、隣に立つ人の呼吸が聞こえる。
その近さに、以前なら理由を探しただろう。
混んでいるから、仕方がないから、と。
だがその日は、
近い、という事実だけがそこにあった。
説明がない世界は、
不親切だと思われがちだ。
だが実際は、
余計な線が引かれていないだけだった。
昼、食事をとる。
味は分かる。
だが「美味しい」と言葉にする前に、
箸が止まった。
美味しいと言うことも、
説明の一種だったのだと、
そのとき初めて気づいた。
午後、誰かから連絡が来た。
簡単な確認事項だった。
以前なら、必要以上に状況を補足していたはずだ。
私は、必要な言葉だけを返した。
それ以上は、書かなかった。
相手がどう受け取るかは、
考えなかった。
考えなかったのではない。
引き受けなかった。
説明しないということは、
相手に委ねるということでもある。
それは無責任に見える。
だが、説明し続けることもまた、
相手の理解を管理しようとする行為だった。
夕方、空の色が変わる。
赤い、とも、暗い、とも言える。
私は、どちらも言わなかった。
言わないまま、
色が変わっていくのを見ていた。
説明しない時間は、
思っていたより長く続いた。
そして、その長さに、
不安はなかった。
夜、部屋に戻る。
灯りをつけ、
椅子に座り、
何も書かない。
書かない理由を、
私は自分に説明しなかった。
説明がなくても、
一日は終わる。
誤解されても、
訂正しなくても、
理解されなくても、
身体は今日を生き切る。
そのことが、
少し怖く、
同時に、
静かだった。
説明しなくなった一日は、
何も変えなかった。
だが、
説明しなくても崩れなかった世界
を、私の中に残した。
それだけで、
十分だった。