いつもありがとうございます!
笑顔と子どもをの竹内まさおりです^^

明日から1泊で、武蔵野市の友好都市であります富山県南砺市に議会として訪問させて頂きます。



友好都市の経緯を調べてみますと、戦時中の1938年、富山県利賀村出身の藤元政信氏が、中島飛行機に入社し、武蔵野町民となりました。

その後、労働組合の委員長になった彼は、社会党公認で市議会議員となり、3期目の任期中に助役(副市長)となったそうです。

そして、1972年に、彼の出身地であります利賀村と本市が姉妹都市となりました。

しかし、2004年、利賀村は平成の大合併を経て南砺市の一部となり、2007年に現在の友好都市という関係へと繋がってきたのです。


なお、藤元政信氏は、1979年に市長になられ、市民参加によるクリーンセンター建設の推進や、長野県川上村の自然の村開設などを手がけられましたが、1983年の市長選挙では、職員の高額退職金が非難され、土屋正忠前市長に引導が渡されたとのことです。


また、中島飛行機についても調べてみました。

1917年、海軍出身の中島知久平氏が、民間航空機メーカー第二号として、群馬県にて製作工場を設立し、1925年に東京工場ができたそうです。

そして、飛行機工場を創業するにあたっての彼の手紙が見つかりました。

口語訳を掲載致します。

「戦艦を作るには莫大な費用がかかるが、飛行機であれば費用が抑えられる。また、戦闘能力も優れている。さらに、1ヶ月で完成できるので、民間企業であれば12回の改良を行える。国営であれば、単年度予算のため年に1度の改良しかできない。今、日本は、民間企業中心の飛行機先進国である欧米と対峙している。官営中心の流れを変えなければ、この国の運命はどうなってしまうのか。」
— 鈴木五郎「疾風ー日本陸軍最強の戦闘機」サンケイ出版 1975 P.46

皆様も胸が熱くなるのではないでしょうか。


明日の南砺市訪問でも、セカンドスクール事業やアンテナショップ事業等、様々なことを学び、ご報告できればと思います。