仙台から東京に向かう車窓から。
いつも見てきた風景。そこはあの日を境に変わり果てた姿になってしまった。
震災当初は仙台駅よりも海側まで(正確に言うと若林区役所付近)津波が襲ってきたて瓦礫が目立っていた。
そして今では更地になり、新しい建物がたくさん立ち並んでいる。
それと同様に仮設住居も見えた。
友人に聞くところによると彼の住んでいるうちの近くに復興公営住宅が出来るそうだ。
行く行くは仮設から離れてそこへ住むことになるのだろう。
だけどそこの住宅の料金はどうなるのだろう?
彼ら(仮設に住む人達)にそこの料金を払える収入があるのだろうか?
まだまだどんな風になるか分からないし、問題は山積みだ。
新年の河北新報の記事の一面、『復興』という言葉がやはり目立っていた。
いつも帰ると目を通す河北新報には必ずこの『復興』という言葉がある。
そう、まだ震災から“完全に癒えていない”のだ。
全国的に見たらもうほとんど震災の話、復興の話、ボランティアの話(天皇陛下の新年の挨拶には被災地を想う話はあったが)はほとんどない。
原発の話はよくあったとしても被災地の話などはほとんどなくなっている。
地元仙台に帰るとまだまだ終わっていないんだというのがよくわかる。
これから東北はどのような変化をしていくのだろう?
今年のお正月に書いたこの記事、ずっと眠らせたまま半年以上の歳月が流れました。
この間、この時と同じように新幹線に乗りながら東京へ向かっていたときにふっとこの記事のことを思い出しましたが時間が経ち、季節が変わっても過去は変わりません。
そして傷ついた心も時間と共に薄れていくけど完全に消えることはありません。
けど、前を向いていこうとしている人もたくさんいます。
2年と4ヶ月が経ちましたがどうか忘れずに同じ日本であるこの場所を思い続けてくほしいです。
僕もこれからも出来るところで繋がりのある場所や人との縁を大切にし、繋がっていきたいです。