日々、実践ジャー~想いを行動に変える日常~

日々、実践ジャー~想いを行動に変える日常~

神奈川在住のスタイリストの日常です。
今年のテーマは“Eclocion”です♪
生まれ変わるために大事なところを変わらずに進化していける年にしていきます。

たくさんの情報が行き交う中、見てくださってありがとうございます☆


これからもよろしくお願いしますm(_ _)m

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 今回の“僕が見た3.11”は2011年3月11日から初めて陸前高田市を訪れた4月16日にかけての出来事を文字にしてみました。
当時の僕は仕事を一区切りつけ、新しい事に挑戦すべく海外での活動を視野にいれていました。
そんな中で2011年3月11日。
テレビでの映像と想像しがたい現実に僕は何か出来ることはないかと模索をしていました。現地に行き、自分の出来ることで何か力になれればという気持ち、それと同時に家族、友人達の安否が気がかりでいてもたってもいられない気持ちでこの三月を過ごしていました。

実際、現地へ行ってみると僕はなんて無力なんだろうという気持ちと、悪い言い方をすればこの目で今の現状を見たいという好奇心みたいなものが罪悪感にも感じてしまいました。

ただ、このままでは僕自身も終われない、そういった気持ちで陸前高田を後にしたのを覚えています。

その後、友人の立ち上げた“みんつな”で支援金をいただいた方を中心した行動報告会にも参加し、その時の陸前高田市の現状を報告するきっかけをいただきました。
そして僕自身もあれこれ手を尽くしてもう一度、美容師としてしっかりとしたボランティアカットを開催したいと思ってました。
この後に三回ほど高田に向かい、現地の美容師さんと話をしてみたり、横浜で一緒に行ってくれる美容師さんと作戦を立てたりと試行錯誤をしていました。

けど、ある時を境に僕は、
“僕ら外から来た人間がどうこうするのはやはり押し付けがましいとこがある。そして復興はそこにいる方たちが主役でなくてはならないんだ”
と僕はそう感じました。
いくら企画しても、いくら考えても結局は自分が達成感を感じる、自己満足として終わってしまうんじゃないかと思いました。

結局、僕はその企画を廃止して個人として関わった方に会いに行くために陸前高田へ足を運ぶようになりました。

お土産を買うことで金銭的な流れを作れるし、高田や大船渡、三陸沿いは元来、自然に恵まれている素晴らしい場所です。
そんな素晴らしい場所に足を運び、たくさんの方に関われてご縁をいただいたことに僕は感謝をしています。

今の陸前高田市内は瓦礫こそ少なくなったものの、まだまだ更地ばかり。
夜になれば街灯すらない場所もたくさんありますが次第に活気を取り戻しつつあるし、たくさんのアイデアから生まれた企画やイベントもたくさん催されています。
いろいろな葛藤もあると思いますが是非、今の現状を生で直に見にいってほしいと僕は思います。

テレビや情報では伝わらないような素晴らしい人、モノ、イベントがたくさんあるはずです。
確かに交通便はあまり良いものではないし、遠方から来る方はちょっと大変かもしれませんがまずは現地へ行って、
たくさんの方達に接してみてください。


今日でちょうど三年という月日が流れましたが
“まだ終わってはいません”
まだまだ問題は残っているし、完全に過去の出来事として扱うにはまだ早いと僕は思っています。
そして今後、いつ、どこで、また大きな災害が来るか分かりません。
この震災を大きな教訓として学び続けなければならないと改めて思います。


最後にこの“僕が見た3.11”を見て下さって本当にありがとうございます。
これがきっかけで現地へ足を運ぶ方が少しでもいれば幸いです。
きっと人生はバトンリレーのように次へ次へと伝えていくものなんだと僕は思いますがその“次”なる人達がたくさん増えていくことを願っています。

*任意NPOみんつなの現地支援メンバーが当初拠点にさせてもらっていた高田ドライビングスクールの一部屋。
たくさんのメンバーがここから活動をしていました。





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翌日、陸前高田市を離れる前にメンバー一同は市内の状態をぐる~っと見回すことにした。
本当に言葉にならない。
瓦礫の山々、崩れた家にはスプレーで“解体OK”、“解体するな!”などなどメッセージが綴られていた。
その光景をメンバーの1人がカメラを構え画像に落とし込もうとした時に
“気軽に撮るな!ここは俺の家で許可を取ってから撮れよ!”
と言われ、メンバーもたじろいでしまった。
本当にそうだ。
勝手に撮ってはいけなかった。
そしてそこは、僕が立っているこの場所はたくさんの人が一瞬で命を落とした場所だ。
道の脇に車を停めて瓦礫を越え、生活がそこにはあったであろう場所に立ち尽くした。
メンバーの何人かは声もなく悲しみに打ちひしがれていた。
またあるメンバーは気高く、何が出来るか必死に考え、下を向いて落ち込むなとみんなに言い聞かしていた。
僕は…、果たしてどっちだろう?
悲しむというより無力だと感じる悲壮感と何かをしなきゃいけないんじゃないかと感じる使命感みたいなものが交互に入り乱れている、そんな感じだったのだと思う。

何とか全壊を免れた家の前には大きなぬいぐるみが飾られていた。
その理由の一つは見つからない自分の子どもが道に迷わないようにここの場所が家だということを示しているものだった。
そして漁師の大漁旗と希望の黄色のハンカチ。
友人が撮った写真をきっかけに有名になった高田松原の奇跡の一本松。
瓦礫の隅の卒業文集。
“未知への扉”
涙が止まらなくなってきた。

何とか…非力だけど何かしないと。

そう思いながら、何か力になれる事を見つけてまたこの場所に来ないと。

そう感じながら陸前高田を後にした。

*瓦礫と化した家屋。
でもそこには確かに生活感があった場所。


*歩いている時に見つけた卒業文集。
希望に満ちているその文集とはかけ離れた今の現状。ギャップが激しすぎて心が締め付けられる。

*津波になぎ倒された高田松原の松の木で唯一残った“奇跡の一本松”
今では残そうとする活動もしているが当時は“津波があったときこの松も流れてきた。そのせいで被害がよりひどくなった”と言う方もいた。

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