年の瀬に思う「デジタルでアナログを学ぶことの意義」 | ~共に悩み、共に生きる~ 神奈川県議会議員 武田翔のブログ

~共に悩み、共に生きる~ 神奈川県議会議員 武田翔のブログ

世の中におかしいと思うことがたくさんあります。悩みながらも成長を目指す軌跡を描きます!

 

令和5年も残すところ一か月、今年も沢山の出会いがあり、そして学びがありました。
出逢った皆さま、多くのことを教えてくださった皆さまには、この場をお借りして御礼申し上げます。

わが国には素晴らしいところが沢山ありますが、そのひとつには「たどる事のできる歴史の長さ」、そして、その歴史が断絶せず「繋がっている」ことにあると思います。
たとえば、地域の自治会の活動でもお祭りでも、時代の変化に応じて現代まで続いてきました。また県内には江戸時代よりも前から続く伝統行事がたくさんありますが、その節目には社会の仕組みの変化や、時には大戦などの危機に直面することもありました。変化の中での継続は単なる惰性では成しえず、継続という中での「たゆまぬ変化」そう言ってもよいでしょう。
 

どうやったら、これまでの営みを続けていくことができるのか。そのための思索や人の心は戦国時代であっても、昭和や平成、そして令和の現代であっても、あまり変わらないように思います。
しかし昨今は、インターネットやIT等の影響により、これまでとは全く違った日本人像が現出してきているように感じます。1995年に本格的なインターネットの時代が到来し、それから10年後の2000年代後半にはスマートフォンの普及が爆発的に広がりました。


私自身はそれぞれの波を中学生の頃にインターネット、社会人になってからスマートフォンに触れましたが、こどもの世代になると生まれた時から両方ともある。これは果たして便利なばかりだろうかと考えさせられます。人と人との距離感が離れているような気がします。
特に最近は誰もが理屈っぽくなっており、「それってあなたの感想ですよね」という話法が話題にもなりました。なかなか他者の意見を受け容れようとしない、そんな傾向を感じます。

その一方で最近の私は、昔からの古典や伝統といったものに関心を寄せることが多くなりました。かつて日本の知識人の多くは長きにわたり、中国の四書五経に学んでいました。私自身も四書五経について勉強しようとは思ったものの、やはり非常に難しく、儒教や朱子学、陽明学などは学問として向き合おうとすると、なかなか理解が追いつきません。
 

そうした中で注目するようになったのが、「平成」元号の名づけ親としても知られる安岡正篤(やすおか・まさひろ)先生のSNSです。

https://twitter.com/noushikyogaku
 

中でも「一日一言(いちにちいちげん)」という書籍をベースにした発信は私のX(旧Twitter)でも毎朝参考にしており、タイムラインに流れて来る投稿で少しずつ学び、自分なりの感想を残すように心がけています。
https://twitter.com/shotakeda1

今後も進むデジタルの技術で生活はどんどん便利になることが予測されますが、改めて人間らしさとは何かを考えていかなくてはいけないと思います。


間もなく迎える新たな一年の始まりは、何かを始めるにもちょうど良い節目です。そんな時に今回のブログで「そういえば武田が、こんなことを言っていたな」そう思い出していただけたら嬉しいです。