1. 寮生活:4畳半の秘密基地
広さ4畳半、そこはまるで修行僧の部屋!しかし、そこは自分だけの秘密基地。壁にかけられた陸上グッズは、夢への羅針盤。夜な夜な、戦略会議(お酒)を繰り広げ、這い上がり作戦を練るのです!

2. 工場勤務:筋肉痛と格闘
慣れない作業で筋肉痛は当たり前。
まるで筋肉改造計画!しかし、持ち前のガッツで乗り越え、鋼の肉体と鋼の精神を手に入れるのです!

3. 夜勤:眠気との戦い
夜勤はまるで忍者の修行!
睡魔と戦いながら、精密機械のように正確な作業をこなすのです。しかし、うっかりミスで高額製品を壊してしまうことも…!?

4. 家族との連絡:希少価値の高い宝物
妻子との連絡は、まさにプレミアムチケット!数ヶ月ぶりの会話は、まるでコントのような珍妙なやり取りに。しかし、その一言一言が、心の支えとなるのです。

5. 帰寮後の過ごし方:至福のひととき
クタクタで帰宅したら、まずはビールで乾杯!至福のひとときは、まるで天国。しかし、気づけば爆睡…夢の中では、陸上界の頂点に立っているかもしれません!(爆)

6. 未来への希望:這い上がりへの道
工場での経験は、己をさらに強く、逞しくするはず。そして、いつの日か陸上界に華麗なカムバックを果たすのです!








さて、工場の世界に入ったまったく新しい私。まるで初めてのデートのようなワクワク感で新しい挑戦に臨んできました。

エンジン製造部生産2課セラミック素子1-1に配属され半年が経ち、機械の操作もすっかり慣れてきた私。

エラーが出た時はもうプロ級の対応スピードで修復できるようになりましたよ。

でもね、どんなに早くてもエラーが頻繁に出たり、大きな故障が発生すると、やっぱり生産はピタッと止まっちゃいます。小さな故障は私が直せるようになったけど、大きな故障や機械の中の複雑なパーツにはなかなか手をつけられないんだよね。

そこで登場するのがエキスパートたち!
彼らが手を加えて機械を復活させる姿を見て、まるでロボットが生まれ変わるみたいな感動を味わいましたよ。
機械の性能が最高潮に達したとき、生産数がどんどん増えていく様子を見ると、自分も少しは貢献できてるなって思います。

でも12月になると、うちの部署は減産になっちゃって。せっかく技術を身につけても、需要がなきゃガッカリだよね。でもね、そんな時こそ準備を怠らず、一つ一つの仕事に丁寧に取り組んでいくことが大切だと思うんだ。
減産で残業がゼロになったから自分の時間もできたし、その分ランニングの時間にしたりして、公私共に充実した生活を送っていこうって思ってます。



よっしゃ!私の工場勤務の面白体験を聞いてくれよ。

入ったばっかりの頃は、まったくもってポンコツじゃねえか!笑。機械の操作なんて夢にも思わなかったぜ。「おいこら濵野!こうすりゃいいんだろ?」ってやったら、ガチャガチャ粘ったりしてさ。「なんだこのカス機械は!?」って機械になぶり物言ってたりしてよ(笑)

でもだんだん慣れてくると、なんとかこなせるようになってきたんだよ。夜勤もロクに寝られないくせに、なんとか乗り切れたしな。そうそう、夜勤最初の日は酔っ払いみたいに動いてたなあ。「ふらふらしやがって、あの野郎」って同僚に舌打ちされまくりだったわ(爆)

一番面白かったのは、会社の偉い人らが見学に来た時だよ。みんなでバリバリ掃除してピカピカにしといたんだけど、機械が調子狂って止まりまくりでさあ大変!「おい急げ!あのクソ機械を直せ!」って、修理班が大騒ぎでめちゃくちゃだったぜ(笑)

でもなんとか機械を動かし続けられて、偉い人らを前に晴れ舞台を作ることができたんだ。「らちがあれへん!いつもの調子や!」なんて言われて、みんなでヘラヘラしてたっけ。この時の団結力は陸上部員の時と同じくらい高まったね笑。

そうそう、作業着の上がポロポロ落ちて、製品に混入しそうになったりしたこともあったなあ。「ああっ!タケシの髪の毛落ちてるわ!」なんて大騒ぎになったりしてよ(爆)

まあ色々あったけどさ、この工場勤務、思ったより楽しかったなあ。機械に魂を吹き込むみたいな感じで、一緒に製品を作り上げていく醍醐味があったっけ。陸上の時と同じくらい、仲間との絆も深まったしね。

昔は箱根駅伝で棄権したり、トヨタ自動車を去ったりと、いろいろ苦労してきたけど、この工場勤務で新たな自分を発見できたっていうか。また前を向いて歩めそうな気がするんだ。「頑張れよ濵野!お前なら絶対できるっ!」ってみんなに言われてるみたいだしね(笑)

夏休みまでの3週間をやっと終えることができました。

なんとか機械の操作を覚えようと若者に教えてもらうのですが、すぐに忘れてしまい、再度教えてもらうという繰り返しの毎日でした。

もうダメなのではないかと挫けそうになりましたが、どうにか少しずつ覚えてきております。
操作が正確にできないとピクリとも動いてくれない機械が、自分の操作で動いてくれると、まるで命を吹き込んだように動いてくれてとても嬉しいです。品質と精度の高い製品を作るための、機械と人間との真剣勝負であり、共同作業だと感じました。

まだまだ100分の1も覚えていない状態ですが少しずつ、覚えて前に進んでいきたいと思いました。
交通安全にも気をつけてこの休みを過ごしたいと思います。(2023年8月)
49歳からの挑戦
工場勤務日記を紹介します。

2023年7月
セラミック素子工場に配属され仕事が始まり1週間が経ちました。

右も左もわからない仕事に加えて、この夏の暑さもあり、1週間が1ヶ月にも感じるほどでした。
思った以上の繊細さを求められる作業に加えて、覚えることの膨大さ。作り出される部品をくまなく点検して次の工程へ送り出すのはもちろん、その部品を作り出すための機械をいかにエラーを起こさず動かし続けることが重要です。

私を指導してくれる20歳の青年はその機械をこともなげに操作してエラーを無くします。まるで魔法のように機械が動き出します。

このように私も操作できる日が来るのだろうか‥。不安を募らせつつも、なんとか頑張って1週間を終えることができました。

仕事を終えてから、グランドを少し走りました。
健は波に乗るのが得意だったけれど、その波は時に嵐に変わった。

彼は大学を卒業し、15年間もの間、実業団の陸上選手として活躍した。そして引退後は指導者としての道を歩むことになった。

彼のコーチングの才能は期待されたが、成果が出せず、次第に苦境に立たされた。しかし、彼は諦めることなく、再び学びの場を求め、大学院に入る決意を固めた。

大学院での新たなステージが始まったが、緊張と不安が彼を襲った。久しぶりの授業、そして新しいオンラインの環境での学びに戸惑いながらも、彼は自分の目標を忘れずに授業に臨んだ。

健は授業で学んだことを実践し、指導者としてのスキルを磨いていった。
しかし、その後も挑戦は続いた。コーチとしての道を模索する中で、契約終了や解任などの試練に直面した。

現在は部品工場の期間工として働いている彼だが、その人生はまだ終わっていない。

彼は過去の失敗や試練を乗り越え、新たな可能性に向かって歩み続けている。彼の波乱万丈な人生は、挫折や失敗の連続ではあるが、そこから学び、成長していく姿勢が際立っている。
ひさびさの駅伝出走!
第70回中山道駅伝を走ってきました。
私の担当は4区の4.8キロ。
結果は14分57秒の区間3位(17チーム中)チームは総合7位。

今回は調整がとてもうまく行きました。
暗闇の400×5やったあと、動いてきて、60分ビルドアップ走を3回、キロ3:30くらいまで上げれるようになり、一週間前に少しふくらはぎに違和感。様子を見つつ、レース3日前に30分ビルドアップ走5分〜3:45+坂道走×5。
次の日は休んで、前日は朝に30分ジョグ。

日常生活では上半身の筋肉、特に背中の張りをとるように意識したら、上半身が力むことなく動いて、スピードダウンせずに走れました。
若手と一緒に走ってこの順位はうれしいっすね。

明日が早いので終わった後の飲み会には参加せず、帰ってきて部屋飲みです笑









夏休み最終日
1000mタイムトライアル5回目!
(21歳元全国高校駅伝出場校出身ランナー参戦)

果たして結果は?

74秒5
71秒6
34秒5
3分00秒7

3分切りならず!(21歳ランナーには勝ちました)