今年4月から骨折で入院していた母親が、昨日(5月28日)退院。
病院を出るのが強雨と予報されている時間帯だったので、
無事にクルマで連れてこられるかと心配していましたが、
強雨とまではならず、無事に到着。
退院と言っても高齢で足腰が弱っているもんで。

それにしても早いもので、あと2日で5月も終わり。
6月に入れば最初の何日かは晴れる見込みです。

でもそのうち梅雨ですね。 (笑)

 

 

 


 
 
40年代から活躍していたウエストコースト系ブルース・シンガー/
ギタリスト、ローウェル・フルスン  とジミー・マクラクリン  
書いた曲。ローウェル自身が歌い、40年代から活躍したかれのキャリアで
最もヒットしました。他にもカヴァーされていますね。  
70年代に京都から登場したウエストコースト・ブルースバンド  
デヴューアルバムのオープニングもこの曲   でした。
それがカッコよかったのでオリジナルを聴きたいものだと思っていました。
ローウェルのバージョンを聴けたのはそれから数年後だったと思います。
 
                    (Written By - Lowell Fulson , Jimmy McCracklin     
  編曲: Maxwell Davis      1967年月 シングル/アルバム発売)   

 

 


 
 
この曲は米国SSW、ジーン・ピットニー が書いた曲。
ボーカルはクリスタルズ  ということでクレジットされていますが
Wiki によると‥
「プロデューサーのフィル・スペクターはクリスタルズを使って本曲を
 レコーディングしようとしていた。
 しかし、ニューヨークを拠点とするクリスタルズは、ロサンゼルスに
 本拠を置くスペクターの下に迅速に移動できず、他のバージョンが
 リリースされないうちにこの曲をプロデュースしてしまいたかったので、
 LAにいたダーレン・ラヴと彼女のバッキング・グループのブロッサムズを
 使ってレコーディング、その音源をクリスタルズ名義でリリースしてしまった」
そうです。
「クリスタルズのメアリー・トーマスは、ディスク・ジョッキーが
「クリスタルズの新曲」とアナウンスするのを聞いたとき、
 私たちの口は開いたままだった」と回想している。」
そんなわけでじつはこの曲、ダーレン・ラヴ のリード・ボーカルです。
 
           (Written By – Gene Pitney     編曲: Jack Nitzsche        
                                                       1962年月 シングル発売)

 

 


 
 
ウクレレ漫談家、牧伸二 の3枚めのシングル。
というか、この曲もレコードになっていたんですねえ。
牧伸二がなつかしくて貼り付け。
ハワイの 'タフアフアイ'(Hawaiian War Chant) という曲を
アレンジしたものだそうで、この曲 を聴くと、
たしかにそれらしきメロディ。 (笑)
 
                            (作詞: 小島貞二    作曲: Prince Leleiohoku    
          編曲: 安藤実親    1964年12月 シングル発売)

 

 


 
 
イギリスのロックバンド、ゾンビーズ の14枚めほどになるシングル。
2nd スタジオ・アルバム "Odessey and Oracle" にも
収録されています。
アルバムを発表した当初、商業的にも批評家からも無関心。
アルバムの制作途中からバンド内の人間関係も悪化し、
完成とほぼ同時にバンドは解散してしまいました。
ところが、当時米CBSのプロデューサーであったアル・クーパー
進言によりアメリカで本曲がシングルカットされ、
翌1969年になって大ヒット(全米3位)したそうです。
 
               (Written By - Rod Argent    1968年 3月 シングル 発売)  
                                                (同上    1968年 4月19日 アルバム 発売)  

 

 


 
オマケ