今日から始まる将棋 名人戦第3局 藤井聡太名人 対 豊島将之九段。

現在 八冠を制する藤井聡太名人に黄信号が点いたのは名人戦ではなくて、

叡王戦五番勝負で連敗したから。つまりカド番。

しかし、もちろんどのタイトルにも勝っていないと八冠は崩れます。

 

そういえば羽生善治九段も25歳のとき、当時のタイトルをすべて制覇して

七冠を獲得('96.2.14)しましたが、その七冠を保持できた期間は5ヶ月半ほど。

同年7月30日に棋聖戦五番勝負で3敗し、棋聖位を奪われてからは

二度と七冠を取り戻すことができませんでした。(あ、まだ現役だから過去形は駄目か)

 

ちなみに藤井八冠の八冠獲得は昨年の10月11日(21歳)だったので、

現在のところ、全冠を保持している期間は約7ヶ月。

保持の長さは羽生九段を抜きましたが、藤井八冠の若さを考えれば

さらに粘って欲しいところ。

 

先述の黄信号(カド番)が点いた叡王戦 第4局は今月31日から。

と、ここまで書いてから気づいたのは、このハナシはその31日直前の、

29日の水曜スペシャルで書くべきだった、ということ。 (爆)

今さら書き直すのも面倒なので、今回はこんな将棋の話題で。

 

 


 
 
米国のSSW、ランディ・ニューマン が1967年に書いた曲。
アラン・プライス による録音がイギリスでヒット したほか、
ハリー・ニルソン や矢野顕子  など、
多くカヴァーされています。
裕福な晩餐会の客たちをクマのダンスで楽しませる、
裕福ではない青年を歌った曲。
貼り付けたのはランディの自作自演バージョン。
72年のアルバム "Sail Away" に収録されていました。
私がこの曲を知ったのは、矢野顕子がカヴァーするより以前に、
FMか雑誌で、かの女自身が好きな曲として本曲を紹介して
いたからだと記憶しています。
 
(Written By - Randy Newman    1972年5月23日 アルバム発売)  

 

 


 
 
菅原洋一 の9枚めと思われるシングル。
米国のSSW、ドン・ロバートソンが作曲し、ハワード・バーンズが
作詞した1953年のポピュラー曲。
オリジナルのタイトルは 'I Really Don't Want to Know'。
日本では「たそがれのワルツ」という邦題で知られていましたが、
なかにし礼が訳詞をつけたときに現タイトルに変わりました。
菅原盤では、もとはB面だったのですが67年になってヒットしたため、
ジャケットを入れ替えてA面として再発しました。
そのシングル盤のスタジオ録音はこちら →
今回は1968年の、菅原洋一とアルフレッド・ハウゼ  楽団との
共演盤から同曲を貼り付け。
アルフレッドはコンチネンタル・タンゴの演奏家。
菅原洋一もタンゴ歌手としてデヴュー。
このライブ盤に収録の '夜のタンゴ' もいいです。→
 
(作詞: Howard Barnes  訳詞: なかにし 礼    作曲: Don Robertson    
                               編曲: 早川博二      1965年 シングル発売)  

 

 


 
 
ボビー "ブルー" ブランド の7作めほどになるアルバム
"His California Album" に収録されていた曲。
私が聴き惚れたのはライヴのほうで、8分50秒くらいある
長いバージョン。→
貼り付けた動画はスタジオ録音バージョンで、
これは3分30秒ほどで終わります。
今はポルトガル語圏、スペイン語圏の音楽ばかり聴いていますが、
人間が変わったわけじゃないんで、やはりこんな名シンガーの
ボーカルには今でも変わらず血が騒ぎます。
 
                       (Written By - Deadric Malone , Oscar Perry    
                                        1973年 アルバム / シングル発売)  

 

 


 
 
安田南 と山本剛トリオのアルバム "Sunny" に収録されていた、
日本の童謡とジャズのスタンダード曲をメドレーにしたナンバー。
それにしても安田南は謎を感じさせるシンガーでした。
70年代はじめ頃に登場し、70年代終わりに忽然と失踪。
見事に…といいたくなるほど、キレイに姿を消してしまった、
'プカプカ' の「あん娘」。
かの女について知らない方はこちらで詳しく →
浅川マキと同じで、こんな個性あるシンガー、もう現れない気がします。
 
(作詞: 三木露風    作曲: 山田耕筰  / Written By - Bart Howard      
                                                   1975年 4月 1日 アルバム発売)